小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

テレビの故障

2021-09-03 21:28:15 | Weblog
テレビの故障

テレビが映らなくなった。
昨日までは映っていたのに。
僕のアパートは、J-COMと契約していた。
なので、ずっと、J-COMを通して、テレビを観ていた。
2011年に、地デジに変更になった後も、僕は、切り替えをしなかった。
それでも、テレビは、観れたからだ。
僕は、メカに弱く、BS、とか、CS、とか、何のことだかわからなかった。
しかし、J-COM、が、しつこく、勧誘してくるので、チューナーをつけてもらい、テレビも、近くのノジマ電気に行って、新しいのを買った。
テレビは、2万円くらいだった。
J-COMだと、映画、見放題とか、何とか、色々な、特典がある。
しかし、僕は、映画なんか、観たいとは思っていなかった。
それまでも、僕は、テレビで、映画、や、テレビドラマ、など、観ていなかった。
活字を読む習慣がついている僕には、テレビのような、受け身で観る行為は、まだるっこしかった。
なので、僕は、それまで、ニュースしか、観ていなかった。
しかし、ニュースは面白かった。
そして、ニュースを観ると、どうしてだか、心が癒された。
そのため、夜9時からの、NHKの、ニュースウォッチ9、次に、10時からの、テレビ朝日の、報道ステーション、は、かかさず、観ていた。
それは。
ニュースを、観たい、という理由もあるが、ニュースの女子アナ、を観ると、心が癒されるからだ。
NHKの、ニュースウォッチ9、では、井上あさひ→鈴木奈穂子→桑子真帆→和久田麻由子、と変わっていった。
なぜか、不思議なことに、女子アナ、が、変わると、「あーあ。別の人になっちゃったよ」、と残念に思うのだが、ニュースを観ていると、新しい、女子アナ、が、好きになってしまうのだった。
そして、やめていった、女子アナ、は、興味がなくなってしまうのだった。
これは、不思議な現象だった。
脳科学者の茂木健一郎氏に、この心理を説明して欲しいものだ。
10時からの、報道ステーションでは、2011年の4月から、ずっと、小川彩佳さん、が、メインキャスターだった。
小川彩佳さんは、それはそれは美しかった。
世間では、北川景子が、美しい、とか、言ってるけど、僕は、北川景子には、関心はなかった。
どんなに、つらい時でも、苦しい時でも、小川彩佳さん、の美しい、優しい、笑顔を見ると、心が癒されるのだった。
しかし、小川彩佳さんは、2018年の9月末日で、報道ステーションを、やめることになった。
僕は、その時、号泣した。
食事が咽喉を通らなかった。
眠れない日が毎日、続いた。
しかし、小川彩佳さんは、優しいが、強い性格でもあった。
テレビ局の圧力に屈せず、2019年6月3日、から、フリーアナウンサーとして、11時からの、TBSの、NEWS23、のメインキャスターに返り咲いた。
この時は、本当に嬉しかった。
どんなに、つらい時でも、苦しい時でも、小川彩佳さん、の美しい、優しい、笑顔を見ると、心が癒されるのだった。
しかし昨日から、急に、テレビが映らなくなってしまったのだ。
僕は、焦った。
ああ。小川彩佳さんが、もう、見れなくなる。
テレビの電源を入れると、「チューナー部と接続をして下さい」、と表示されるばかりだった。
なので、その指示に従って、操作してみた。
しかし、何度、やっても、ダメだった。
僕は、J-COMに、連絡しようと、インターネットで、J-COMの電話番号を調べようと思った。
しかし、J-COMのホームページには、電話番号が、書かれていなかった。
このままでは、テレビが見られなくなる。
僕の、マリア様である、小川彩佳さんが、見れなくなる。
僕は号泣した。
涙が止まらなかった。
そして、僕は、一つの結論に辿り着いた。
「小川彩佳さんを見れない、のなら、生きていても意味がない」
という結論である。
僕は、泣きながら、家を出た。
そして、車に乗って、10分くらい、運転して、近くの雑木林の中に入った。
僕は、車を降りた。
僕は、太い大きな木を探した。
僕は、家から持ってきた、太いロープの、片方を、首吊り出来るように、輪にした。
幸い、近くに、誰かが捨てていった、大きな木の箱があった。
僕は、その箱に乗って、木の高い所のある、丈夫な枝にロープの、もう片方を、しっかりと、結びつけた。
僕は、首にロープを通した。
赤い夕陽がきれいだった。
「さようなら。小川彩佳さん。優しさをありがとう」
短い人生だったな、と、僕の心は、虚ろだった。
僕は、乗っていた、木の箱から、足を外そうとした。
その時である。
「待って」
いきなり、女の人が、飛び出してきた。
「はやまった事をしちゃ、ダメ。命は、あなただけのものではないのよ。命は、神が与えてくれたものなのよ」
と、言って、僕を制した。
僕は、彼女の言葉に、心を動かされて、「死」を思いとどまった。
僕は、首のロープをはずして、地面に降りた。
「どうしたの。一体、何があったの。死にたくなった理由を教えて下さい」
彼女は、僕に、温かい言葉をかけてくれた。
僕は、テレビが見れなくなったこと、J-COMに連絡できないこと、小川彩佳さん、が見れないこと、など、を、彼女に正直に話した。
彼女は、僕の話を、黙って聞いてくれた。
そして。
「わかったわ。私も、以前、テレビが、見れなくなっちゃった経験があるの。それで、直った経験があるの。私が、みてあげるわ。もしかしたら、直るかもしれないわ」
彼女は、僕にそう励ましてくれた。
僕は、ダメで元々、と、思いながらも、もしかしたら、また、テレビが見えるようになるもしれない、小川彩佳さん、を見れるようになるかもしれない、との一抹の希望を彼女に託すことにした。
「でも、テレビが絶対、直るという保障はないから、あまり、期待しすぎないでね」
と彼女は優しく言ってくれた。
僕は、彼女を車に乗せて、運転し、家に帰った。
家に着くと、彼女は、すぐに、テレビの所に行った。
彼女はテレビの電源を入れたが、やはり、「チューナー部と接続して下さい」という表示が出るだけだった。
やはり、ダメだと僕は、あきらめかけた。
彼女は、少し、考え込んでいるようだった。
「もしかすると、J-COMの方に、問題があるのじゃなくて、テレビの方に、問題があるのかもしれないわ。テレビの取扱説明書、ある?」
彼女は聞いた。
僕は、てっきり、J-COMの方に、問題があると思っていた。
うかつだった。
僕は、あせって、家電製品の取扱説明書を置いてある、引き出しを開けてみた。
すると、底の方に、テレビの取扱説明書があった。
僕は、それを持って、彼女の所に行った。
彼女は、取扱説明書の、「困った時には」のページを開いた。
その中で、「チューナー部と接続できない時」の項目を読んだ。
それには、
「チューナー部と接続して下さい、のお知らせ、お知らせメッセージが、表示された時には、モニター部の電源ボタンを長押しして、(再起動)し、画面の指示にしたがって、接続設定をやり直してください」
と、書かれてあった。
彼女は、その通りに、モニター部の電源ボタンを長押しして、(再起動)し、画面の指示にしたがって、接続設定をやり直した。
すると、奇跡が起こった。
何と、テレビのあらゆる放送局の番組が、以前と同じように、見えるようになったのである。
これで、テレビが見える。ニュースが見える。小川彩佳さん、が見える。
そう思うと感無量だった。
もう、僕は、死ななくてすむんだ。
彼女は、僕にとって、命の恩人だった。
「ありがとう。本当に有難うございました。これで、僕は死なずに生きることが出来ます」
僕は、彼女の手をとって泣いた。
僕は、百万円札の札束を取り出した。
「お礼です。ほんの気持ちですが、どうか、受け取って下さい」
僕は、彼女に、札束を渡そうとしたが、彼女は、
「いいですよ。そんな、百万円もなんて。ちょっと、操作しただけですから」
そう言って、彼女は、頑として、百万円を受け取ろうとは、しなかった。
しかし、命の値段に比べたら、百万円なんて、安いものである。
こうして、僕は、死をまぬがれることが出来た。
僕は、これからも、どんなに、つらい、苦しいことが起こっても、生きようと思っている。

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