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好日29 橋川文三の好日

2009年05月16日 13時26分07秒 | 好日21~45

東北大学の大学院生が指導教授に二度も博士論文を提出したのに受取ってもらえず自殺したというニュースが報じられている。何という暗い師弟関係だろう。胸が塞ぐ思いがする。

このニュースに接した時、私は学生時代のゼミの教官であった橋川文三氏のちょっとしたエピソードを思い出した。日本政治思想史の教授であった橋川文三先生のことを、僕たちゼミ生は親しみを込めていつも橋川さんと呼んでいた。だからここでもただ橋川さんと記載させていただくことにする。

橋川ゼミの合宿での呑み会でのことだった。橋川さんは、紅一点の女子生徒にむかって、「ゼミの成績ですが、評価は女性にも男性にも全員に優をつけます。だから安心して下さい」と仰ったのである。全員に優を付けると最初から決めるのは教官としてはそりゃ問題だろうと私は思った。しかし橋川さんがわざわざ「女性にも優をつけます」と公言される理由が知りたかった。

橋川さんは「ちょっと弱いかな」と思って女子生徒に良をつけたことがあったそうなのである。ところがその生徒は卒業してからも会うたびに「でも私は良しかももらえなかったからな」と何度もそのことを持ち出して、橋川さんを苦しめたのだった。

私にはその女子生徒の気持ちがよく分かった。他の科目はいざ知らず、橋川さんにだけは優をもらいたかったのだ。良だったということはまったく想定外であった。裏切られたような気持ちだったのだろう。橋川さんにしてみれば、こんな些細な事実が人を傷つけることがあるとは、これまた想定外のことであった。必ず女性にも男性にも全員に優を付ける。これが橋川さんの下した決断であった。こんな人は教授は勤まっても、たとえば学部長とかにはもちろんなれない。

橋川さんの日本政治思想史の講義は、開始時刻がわりと朝早かった。同じ講義が第二部でもあったため、朝の講義を聞きそびれた時は私は第二部の講義を聞くことにしていた。夜はこじんまりした小教室で、講義を受ける学生たちもせっせとノートを取ってまじめであり、教室はいつも厳粛な雰囲気が漂っていた。

橋川さんの日本政治思想史の講義でいちばん感銘を受けたのは、石原莞爾の東亜連盟の思想と運動をテーマに語られた日のものであった。私はこの日の講義は、あまりに面白かったので、朝と夜と二回聞いている。蒋介石の北伐から始まり、混沌とした中国の近代史の歩みの中で東亜連盟の思想が立ち上がる光景がビビッドに語られる。それは思想と現実が交差する真の歴史の実相を描いた名講義であった。

やがて石原莞爾は東条英機との権力闘争に敗れ予備役に編入される。故郷鶴岡に隠遁を余儀なくされた石原の元に、東条は憲兵を差し向け、監視を続けた。この日の講義は、この憲兵と石原との次のようなエピソードが紹介されて終わった。

憲兵「閣下。閣下は東条閣下と思想が合わないのでありますか」
石原「東条と思想が合わないって? そんなことはないよ」
憲兵「さようでありますか。東条閣下とは思想が合わないと聞いておりましたのですが、どういうことでしょうか」
石原「東条には思想がない。俺には思想がある。だから合わないということはない」

 ここで教室は大爆笑。名講義の見事な幕切れであった。

★東京裁判 - 東条英機の頭をはたく大川周明★


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1 コメント

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橋川文三先生の講義風景 (ワクロー3)
2009-06-10 15:56:15
 日本の百年7 アジア解放の夢 1934―1937。
 古本屋で購入した橋川文三著作。これは、この時代を描いた、最強の歴史だと思います。論じるのではなく、庶民の風俗を織り交ぜ、当時の世相と歴史の大きな流れが、いっしょにわかる。ほかの歴史家にはまねができない構造になっています。
 貴重な講義の記憶をご紹介いただき、ありがとうございました。
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