ブログ用渡辺松男研究2の19(2019年2月実施)
Ⅲ〈錬金術師〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P96~
参加者:泉真帆、M・I、岡東和子、A・K、T・S、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
145 暗黒界から引っぱられたる大根は身を響かせてあらわれにけり
(レポート)
役者が舞台の袖から出るとき舞台にくちづけをしたい心だと聞いたことがある。心の震えるほどの緊張と晴れの舞台への喜びなのだろう。さて一首のひっぱられたる大根は暗黒界からとあるので、とにかくその境遇から抜け出ることが出来る。その喜びたるや身を響かせるほど一入なのだ。前述の役者と状況は違っているが、心の内はどことなく似ているように思う。いずれにせよ「身を響かせてあらわれにけり」がなんとも素晴らしい。(慧子)
(当日意見)
★暗黒界って普通は浮いてしまうような言葉だけど、身を響かせてとか少し古風な「あらわれにけ
り」でうまく収まっている。好きなようにうたいなさいと誰かに言われたんでしょうかね。
(真帆)
★素晴らしいと思います。暗黒界という言葉が普通は出てこない。自分の感覚を信じてうたってい
る。説得力があって浮いた感じが全くしないですね。緩急がとっても上手いですね。ここでは大
根ですけど、混沌としたものがこの世に顔を出す時のエネルギーを感じます。(A・K)
★暗黒界って悪い意味ばかりじゃないのですね。(真帆)
★赤ちゃんがオギャーって出てくる感じですね。(慧子)
★自分だったら大根を引き抜いたと作るけど、松男さんは大根になっているところがすごいですね。
私が歌を始めた頃に、上の句下の句のつながりが分からないと批評されて、その後たまたま近く
に座った松男さんにどう作ったらいいのですかと聞いたら「上の句に手がかりを入れておかない
といけないんだよ」とおっしゃった。(真帆)
★「言いおおせて何かある」ってありますよね、芭蕉の言葉みたいですが。何がうたってあるかは
分かってもそれだけでは駄目で、何か無いといけない。何かあると思わせることが詩だと結社
に入ったとき叩き込まれましたね。佐太郎なんかは、何も言ってないですよね。例えば晩年の病
院に入っている時、リハビリを兼ねて海まで散歩してくるというだけの歌なんか。(A・K)
★ 「ただ水を見るのみの」ですね。(慧子)
★はい、ただそれだけのことしか言ってないのに何かあるんですよね。馬場先生の『あさげゆふげ』
もそうですね。何も言ってないけど何かある。(A・K)
★そうですね、今、ネットで馬場先生へのインタビュー記事が配信されていて。そこで若い人と老
年の歌を比較して述べられています。老年の歌は言葉も少なくてあっさりしているけど、助詞と
助動詞で人間の心を伝えているって。若い人の歌は言葉をいっぱい詰め込んで面白いけど、それ
は「時の花」で本当の花ではないから長持ちしないって。また、「言いおおせて何かある」って
言葉も歌会でよく馬場先生がおっしゃっていました。「言いたいことを言っただけでは歌は駄目
なんだよ」あるいは「言いたいことを全部言ってしまっては駄目なんだよ」というニュアンスだ
ったと思います。(鹿取)
★むかし学士会館で馬場先生の講演を聴いたのですが、新しい言葉、新しいことばってみんなは探
しているけど、そんなのは駄目。枕詞とかバーンと使ってご覧っておっしゃった。(A・K)
★では、松男さんのこの歌に戻りますが、暗黒界って抜け出したい嫌な世界だとは私はとりません。
だから身を震わせるのが嫌な場所から出られる喜びだとも思いません。そういう意味づけの無い
もっと即物的な歌だろうと。暗黒界はむしろ豊穣な世界のようにも思いますが。たとえば、こん
な歌と比べても、そう思います。この歌の少し先(124P)に出てくる歌です。(鹿取)
人参の地中に奪う朱のいろにおもいおよびてぞくぞくとせり
(後日意見)
A・K、慧子発言の佐藤佐太郎の歌は、次のものだろう。(鹿取)
ただ広き水見しのみに河口まで来て帰路となるわれの歩みは
『天眼』(昭和54年刊)
Ⅲ〈錬金術師〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P96~
参加者:泉真帆、M・I、岡東和子、A・K、T・S、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
145 暗黒界から引っぱられたる大根は身を響かせてあらわれにけり
(レポート)
役者が舞台の袖から出るとき舞台にくちづけをしたい心だと聞いたことがある。心の震えるほどの緊張と晴れの舞台への喜びなのだろう。さて一首のひっぱられたる大根は暗黒界からとあるので、とにかくその境遇から抜け出ることが出来る。その喜びたるや身を響かせるほど一入なのだ。前述の役者と状況は違っているが、心の内はどことなく似ているように思う。いずれにせよ「身を響かせてあらわれにけり」がなんとも素晴らしい。(慧子)
(当日意見)
★暗黒界って普通は浮いてしまうような言葉だけど、身を響かせてとか少し古風な「あらわれにけ
り」でうまく収まっている。好きなようにうたいなさいと誰かに言われたんでしょうかね。
(真帆)
★素晴らしいと思います。暗黒界という言葉が普通は出てこない。自分の感覚を信じてうたってい
る。説得力があって浮いた感じが全くしないですね。緩急がとっても上手いですね。ここでは大
根ですけど、混沌としたものがこの世に顔を出す時のエネルギーを感じます。(A・K)
★暗黒界って悪い意味ばかりじゃないのですね。(真帆)
★赤ちゃんがオギャーって出てくる感じですね。(慧子)
★自分だったら大根を引き抜いたと作るけど、松男さんは大根になっているところがすごいですね。
私が歌を始めた頃に、上の句下の句のつながりが分からないと批評されて、その後たまたま近く
に座った松男さんにどう作ったらいいのですかと聞いたら「上の句に手がかりを入れておかない
といけないんだよ」とおっしゃった。(真帆)
★「言いおおせて何かある」ってありますよね、芭蕉の言葉みたいですが。何がうたってあるかは
分かってもそれだけでは駄目で、何か無いといけない。何かあると思わせることが詩だと結社
に入ったとき叩き込まれましたね。佐太郎なんかは、何も言ってないですよね。例えば晩年の病
院に入っている時、リハビリを兼ねて海まで散歩してくるというだけの歌なんか。(A・K)
★ 「ただ水を見るのみの」ですね。(慧子)
★はい、ただそれだけのことしか言ってないのに何かあるんですよね。馬場先生の『あさげゆふげ』
もそうですね。何も言ってないけど何かある。(A・K)
★そうですね、今、ネットで馬場先生へのインタビュー記事が配信されていて。そこで若い人と老
年の歌を比較して述べられています。老年の歌は言葉も少なくてあっさりしているけど、助詞と
助動詞で人間の心を伝えているって。若い人の歌は言葉をいっぱい詰め込んで面白いけど、それ
は「時の花」で本当の花ではないから長持ちしないって。また、「言いおおせて何かある」って
言葉も歌会でよく馬場先生がおっしゃっていました。「言いたいことを言っただけでは歌は駄目
なんだよ」あるいは「言いたいことを全部言ってしまっては駄目なんだよ」というニュアンスだ
ったと思います。(鹿取)
★むかし学士会館で馬場先生の講演を聴いたのですが、新しい言葉、新しいことばってみんなは探
しているけど、そんなのは駄目。枕詞とかバーンと使ってご覧っておっしゃった。(A・K)
★では、松男さんのこの歌に戻りますが、暗黒界って抜け出したい嫌な世界だとは私はとりません。
だから身を震わせるのが嫌な場所から出られる喜びだとも思いません。そういう意味づけの無い
もっと即物的な歌だろうと。暗黒界はむしろ豊穣な世界のようにも思いますが。たとえば、こん
な歌と比べても、そう思います。この歌の少し先(124P)に出てくる歌です。(鹿取)
人参の地中に奪う朱のいろにおもいおよびてぞくぞくとせり
(後日意見)
A・K、慧子発言の佐藤佐太郎の歌は、次のものだろう。(鹿取)
ただ広き水見しのみに河口まで来て帰路となるわれの歩みは
『天眼』(昭和54年刊)