かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 190(中国)

2019-03-18 20:35:50 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の旅の歌25(2010年1月実施)
  【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)127頁~
    参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:N・I 司会とまとめ:鹿取 未放

 
190 売られたる鶏は水見てゐたるかな二丁艫(ろ)に漕ぐ蘇州運河に

       (レポート)
 買ったのではなく売られてきたと詠み、鶏の眼に注目したのはさすがだと思います。川は人生にも例えられます。その流れが見えているのだろうかと、言い差しで終わっているのが深みを与えていると思いました。(N・I)


      (まとめ)
 下句と上句が倒置になっているので言い差しではない。また終助詞「かな」は詠嘆だから「水を見ていたことよ」の意味で、「その流れが見えているのだろうか」というような疑問では全く無い。
 二丁艫だから艫が2本しかない小さな船、そこに売られた鶏たちが乗せられている。何羽とは書かれていないが、小さな船だからせいぜい10羽というところだろうか。たぶん脚でも縛って数珠繋ぎにされているのだろう。鶏たちはしょうことなしに運河の水を見ている。水は188番歌に「楊花散りて蘇州春逝く季に来つ濁れる運河一日下りて」とあったように濁っていて水中は見えない。拘束された鶏たちは直感的に自分の運命を把握しているのだろう。作者たちの乗る観光船と擦れ違ったときの属目だろうが、「水見てゐたるかな」のところにそこはかとないあわれが滲む。(鹿取)


コメント
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