馬場あき子の旅の歌26(2010年3月実施)
【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)164頁~
参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
197 風早(かざはや)の三保の松原に飛天ゐて烏魯木斉(うるむち)に帰る羽衣請へり
(レポート)
今、馬場先生は「飛天」から、三保の松原の「羽衣」を思い出しておられる。謡曲「羽衣」はよく知られた内容で、天女が隠された羽衣を返してくれるよう、漁師に頼む。その際、漁師は舞を所望する。天女は羽衣を纏い、舞を舞いながら天に帰って行く。馬場先生は今、その天女を烏魯木斉に帰るためにその羽衣を要求したのだと規定される。なぜ烏魯木斉なのだろうか。敦煌から、まだ遙か西方である烏魯木斉へ、馬場先生ご一行は、これから向かわれるのであろう。その烏魯木斉は、日本の三保の松原から考えると、それはもう遙かに遠い天空のようなところと思われる。それで「烏魯木斉に帰る~」と言われたのであろう。(T・H)
烏魯木斉:新疆ウイグル自治区の区都。海抜900メートルにあり、町の名はウイ
グル語で「優美な牧場」の意。市街ではポプラ並木が三、四列と連なり
、 その間を清水が流れるオアシス都市特有の光景を持つ。北京より約27
00キロ。東京~北京間より300キロも遠い。
(当日意見)
★烏魯木斉の字面のおもしろさを狙っている。(慧子)
(まとめ)
歌は「三保の松原に飛天がいて烏魯木斉に帰る羽衣を返して欲しいと言った」の意。「風早の」は風が激しく吹く意味だが古歌では「三保」に掛かる枕詞のようにも使われている。(万葉集に「風早の三穂の浦廻(うらみ)の白つつじ」(四三七)などとある)しかし「風早の」がこの歌では意味としてよく機能していて、三保の松原から烏魯木斉までの途方もない距離を帰っていく飛天にスピード感や爽やかさを与える役目をしている。
羽衣伝説は日本各地にあるが、近江、丹後、三保の松原のものが特に有名である。謡曲「羽衣」は三保の松原が舞台で、羽衣を見つけた漁師が、天女の舞と交換にこれを返す美しいお話。飛天が帰って行く場が作者らがこれから尋ねようとしている烏魯木斉だという断定がほほえましい。
歌集『飛天の道』のあとがきに、この歌に関連する部分があるので長いが引用させていただく。(鹿取)
シルクロードという東西の文物の交流の道は、同時に仏教やイスラム教や、道教などの思想・宗教の伝来の道でもあり、その激しい葛藤の道であった。しかし、天翔る飛天の表情はどれも温雅で、閑雅な楽の音とともにある。それは魂を癒すべき無辺の愛を導き運ぶもののやさしく強い意志の力にかがやいていた。その飛天の道の終点が日本であることも感慨深い。日本の天女伝説はすでに『風土記』の中にあるが、能「羽衣」によって定着し、一般化した三保松原の天女も、このシルクロードから飛行してきた天女の一人だったと思うと特別ななつかしみが湧く。
(馬場あき子、あとがきより)
【飛天の道】『飛天の道』(2000年刊)164頁~
参加者:N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
197 風早(かざはや)の三保の松原に飛天ゐて烏魯木斉(うるむち)に帰る羽衣請へり
(レポート)
今、馬場先生は「飛天」から、三保の松原の「羽衣」を思い出しておられる。謡曲「羽衣」はよく知られた内容で、天女が隠された羽衣を返してくれるよう、漁師に頼む。その際、漁師は舞を所望する。天女は羽衣を纏い、舞を舞いながら天に帰って行く。馬場先生は今、その天女を烏魯木斉に帰るためにその羽衣を要求したのだと規定される。なぜ烏魯木斉なのだろうか。敦煌から、まだ遙か西方である烏魯木斉へ、馬場先生ご一行は、これから向かわれるのであろう。その烏魯木斉は、日本の三保の松原から考えると、それはもう遙かに遠い天空のようなところと思われる。それで「烏魯木斉に帰る~」と言われたのであろう。(T・H)
烏魯木斉:新疆ウイグル自治区の区都。海抜900メートルにあり、町の名はウイ
グル語で「優美な牧場」の意。市街ではポプラ並木が三、四列と連なり
、 その間を清水が流れるオアシス都市特有の光景を持つ。北京より約27
00キロ。東京~北京間より300キロも遠い。
(当日意見)
★烏魯木斉の字面のおもしろさを狙っている。(慧子)
(まとめ)
歌は「三保の松原に飛天がいて烏魯木斉に帰る羽衣を返して欲しいと言った」の意。「風早の」は風が激しく吹く意味だが古歌では「三保」に掛かる枕詞のようにも使われている。(万葉集に「風早の三穂の浦廻(うらみ)の白つつじ」(四三七)などとある)しかし「風早の」がこの歌では意味としてよく機能していて、三保の松原から烏魯木斉までの途方もない距離を帰っていく飛天にスピード感や爽やかさを与える役目をしている。
羽衣伝説は日本各地にあるが、近江、丹後、三保の松原のものが特に有名である。謡曲「羽衣」は三保の松原が舞台で、羽衣を見つけた漁師が、天女の舞と交換にこれを返す美しいお話。飛天が帰って行く場が作者らがこれから尋ねようとしている烏魯木斉だという断定がほほえましい。
歌集『飛天の道』のあとがきに、この歌に関連する部分があるので長いが引用させていただく。(鹿取)
シルクロードという東西の文物の交流の道は、同時に仏教やイスラム教や、道教などの思想・宗教の伝来の道でもあり、その激しい葛藤の道であった。しかし、天翔る飛天の表情はどれも温雅で、閑雅な楽の音とともにある。それは魂を癒すべき無辺の愛を導き運ぶもののやさしく強い意志の力にかがやいていた。その飛天の道の終点が日本であることも感慨深い。日本の天女伝説はすでに『風土記』の中にあるが、能「羽衣」によって定着し、一般化した三保松原の天女も、このシルクロードから飛行してきた天女の一人だったと思うと特別ななつかしみが湧く。
(馬場あき子、あとがきより)