かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の142

2019-03-02 19:02:15 | 短歌の鑑賞
  ブログ用渡辺松男研究2の19(2019年2月実施)
     Ⅲ〈錬金術師〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P96~
     参加者:泉真帆、M・I、岡東和子、A・K、T・S、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放


142 重圧のかかる踵に生きているわれとおもいて立ち上がりたり

          (レポート)
 生まれ落ちて私たちは生きねばならない。いやだなと思ったり、しんどいと漏らしたりしながら、気持ちを切り替えたりして日々を重ねる。そんなことも含めて作者の身体表現がここにある。「重圧のかかる踵に生きているわれ」と認識があって前のめりではなさそうな生の感じがある。重荷が体のどこかに掛かっている状態を肩などとせず踵ととらえて新鮮で説得力がある上に、「立ち上がりたり」という結句によって生をひきうけていることがうかがえる。(慧子)


      (当日意見)
★踵にの「に」の使い方はなかなかと思いますが、渡辺さんは何をいいたかったのかしら。先月鑑
 賞した歌と作り方が似ている気がするけど、重圧って存在している重圧かしら?もちろんこのま
 ま分かるんだけど、その奥にもっと何かがあるんじゃないかと考えたときの話です。(A・K)
★踵を意識して立ち上がるんですよね、。レポーターのおっしゃるように身体表現があって、感触
 として伝わってくる面白さもあると思うのですが、あまり嬉しくない重圧があるような気がしま
 す。自分の身の重さを自分の身で生きているというところを、引き受けて生きているんだと。レ
 ポーターの書いている通りと思います。(真帆)
★レポーターの説明でこの歌がよく分かる気がしました。特に前向きとかそういうことは考えなく
 ていいように思いますが。(岡東)
★私はこの歌を間違って覚えていて、「重力のかかる踵」だと思い込んでいました。というのは松
 男さんの歌のテーマの一つが「重力」だと思うからなのですが、重圧だったのですね。歌の鑑賞
 は自由なのでそれぞれでいいですけど、松男さんの歌の造りはあんまりリアルな現実を人生的に
 うたったものではないですよね。まったくそういう歌がない訳ではないけど。だから、私は書い
 てある通りに人生的な色づけはせずに読むんですけど、確かにA・Kさんがおっしゃったような、
 奥にまだ何かあるんじゃないかという感じは残ります。(鹿取)
★レポーターが書いていらっしゃるように、肩などでなくて踵であることに新鮮さはあるけど、そ
 の他はすごく陳腐じゃないですか。私だってこれくらいの歌は作ります。だから人生を重ねない
 で渡辺松男さすがって思う為にはどう読んだらいいのか分からないのです。重力だったら体感と
 して分かるけど、人生の重圧だったら陳腐じゃないですか。(A・K)
★では人生訓じゃないとしたら、踵と行っているんだから前から来る風圧のようなものを受けて踏
 ん張っている感じがある。父の重圧かもしれないし、哲学的な重圧かもしれないけど。(真帆)

コメント
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