馬場あき子の旅の歌23(2009年11月実施)【紺】『葡萄唐草』(1985年刊)
参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
178 肥りたる青年に遇はざりしこと人民服とよぶ紺の春
(レポート)
馬場先生ご一行は、今上海や杭州方面を旅しておられる。中国では共産革命以来、「贅沢は敵」とばかりに、1980年代までは男性は人民服という木綿の青い上下の詰め襟を、上は国家主席から、下は農村の人民にいたるまで着ていた。しかし開放路線が進んだ現在ではもうほとんど見かけなくなったが。時は春であるのに、若き青年達は春らしい色彩の服装も叶わず、青い人民服を着ている。馬場先生はこの画一化された状況をご覧になって、そこに共産主義の貧しさ、恐ろしさを悲しく見つめておられる。また戦前であったなら、中国ではでっぷりと太っていることがステイタスであったのに、そのような青年に会わないことも、その変貌ぶりを悲しく見ておられる。(T・H)
(当日意見)
★革命以前はステイタス・シンボルとして男性も女性も肥っていた。だから、偉い、よくがんば
っていますねという感銘。(T・H)
★痩せていることに対してその努力を偉いという訳?
★全体主義の恐ろしさ。(曽我)
★日本では脂ぎった青年が増えてきた頃なのに、中国は食が貧しくすがすがしく痩せている。
(慧子)
★いろんな見方があるだろうけど、少なくとも痩せていることには作者はすがすがしさを感じてい
るのではないか。(鹿取)
(後日意見)(2019年3月)
T・Hの当日発言、痩せていることに対してその努力を偉いというのか?レポートと矛盾しているようにも思えるが。レポーターのように作者が「共産主義の貧しさ、恐ろしさを悲しく見つめておられる」とは思わない。また曽我発言のように「全体主義の恐ろしさ」を言っているとも思わない。もう少しさらっと、属目の実感ではなかろうか。(鹿取)
参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
178 肥りたる青年に遇はざりしこと人民服とよぶ紺の春
(レポート)
馬場先生ご一行は、今上海や杭州方面を旅しておられる。中国では共産革命以来、「贅沢は敵」とばかりに、1980年代までは男性は人民服という木綿の青い上下の詰め襟を、上は国家主席から、下は農村の人民にいたるまで着ていた。しかし開放路線が進んだ現在ではもうほとんど見かけなくなったが。時は春であるのに、若き青年達は春らしい色彩の服装も叶わず、青い人民服を着ている。馬場先生はこの画一化された状況をご覧になって、そこに共産主義の貧しさ、恐ろしさを悲しく見つめておられる。また戦前であったなら、中国ではでっぷりと太っていることがステイタスであったのに、そのような青年に会わないことも、その変貌ぶりを悲しく見ておられる。(T・H)
(当日意見)
★革命以前はステイタス・シンボルとして男性も女性も肥っていた。だから、偉い、よくがんば
っていますねという感銘。(T・H)
★痩せていることに対してその努力を偉いという訳?
★全体主義の恐ろしさ。(曽我)
★日本では脂ぎった青年が増えてきた頃なのに、中国は食が貧しくすがすがしく痩せている。
(慧子)
★いろんな見方があるだろうけど、少なくとも痩せていることには作者はすがすがしさを感じてい
るのではないか。(鹿取)
(後日意見)(2019年3月)
T・Hの当日発言、痩せていることに対してその努力を偉いというのか?レポートと矛盾しているようにも思えるが。レポーターのように作者が「共産主義の貧しさ、恐ろしさを悲しく見つめておられる」とは思わない。また曽我発言のように「全体主義の恐ろしさ」を言っているとも思わない。もう少しさらっと、属目の実感ではなかろうか。(鹿取)