かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 74

2023-07-09 09:20:40 | 短歌の鑑賞
  2023年版渡辺松男研究⑨(13年10月)
     【からーん】『寒気氾濫』(1997年)33頁~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター 鈴木 良明    司会と記録:鹿取 未放

 
74 「いかなくちゃいかなくては」と歌う声虹消ゆるごとく行ききりうるや

      (レポート)
 ある特定の場所に「行く」場合は、その場所に着くことが目的であるから、到達したときに「行ききった」といえる。ところが、「行く」が手段で、目的が別にある時には、「行ききった」という感慨は生まれにくい。この歌は井上陽水の「傘がない」(72年)だと思うが、「行かなくちゃ君に逢いに行かなくちゃ」「君の街に行かなくちゃ」「君の家に行かなくちゃ」と続くのである。この場合には、行けば目的を達したことにならず、君に逢って愛を伝えるなど、その先の目的を果たして「行ききった」になるのである。ましてこの歌は、「雨にぬれて行かなくちゃ 傘がない」で終わっており、それでなくとも「行ききること」はほとんど絶望的なのである。「いかなくちゃ」と繰り返される歌の違和感から、この短歌が生まれたのだろう。(鈴木)


      (当日意見)
★ただ、どこへ行ききるのでしょうね。79番歌(空間へ踏みいりて出られなくなりし
 一世(ひとよ)にてあらん 紙を切る音)の歌のように「空間へ踏みいりて出られな
 くなりし」場所からどこかへ出ていくんでしょうかね。(鹿取)
★鹿取さんが言うようにもっと大きい話かもしれないと思う。ただ大きいものであると
 いう手がかりが全然ないので、まずはこういう解釈で仕方ないのかなと。(鈴木)
★「虹消ゆるごとく」だから79番歌よりもう少し小さいところかもしれないなと。も
 ちろん大きい、小さいって空間とか距離だけの問題じゃないんだけど。行ききる先は
 未知の異空間か何かで、少なくとも東京とか横浜とか現実の土地ではない。(鹿取)
★行くということにはこだわっているんだよね。行ききるというからにはやっぱり目的
 があるわけだけど。難しいなあ。(鈴木)
★「いかなくちゃいかなくては」は、ひょっとしたら光の向こう側じゃないかしら。
    (慧子)
★そうかもしれないですね。いや、きっとそうなんでしょうね。「行きき」るんだから
 戻ってこれない場所なんですね。(鹿取)
    ◆◆番外編
★ときどき、自歌自注してほしいと思う歌があるわね。(鹿取)
★私は自歌自注はいらない。歌だけでいいんです、私は。こっちが読むんだから。作者
 が違うよって言っても、読むのはこっちだから。(鈴木)
★うーん、渡辺さんのことではないけど、自分の解釈の方が作者の説明よりいいのにと
 思うことはあるわね。(鹿取)
★もう作者の手は離れているんだから。どう読まれようと作者は口を出すべきではな
 い。渡辺さんが考えていることが何か、聞きたいんじゃないんだもの。(鈴木)
★まあ、おおむねそうなんだけど、ケースバイケースで。読み手の自由と言っても恣
 意的な読みはまずいし。たとえば分かりやすい例でいうと、本歌取りなのに読み手
 が全然気がついてないと可愛そうだな、きちんと芸をみてあげてよとか、第三者と
 して思うことが時々あるもの。だから自分がいい読み手になるには努力がいるし、
 いつも読み切れていない、全然届いていないなって感じる。それこそ私には常に不
 全感がある。(鹿取)
コメント
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