かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 71

2023-07-06 17:56:25 | 短歌の鑑賞
  2023年版渡辺松男研究⑨(13年10月)
     【からーん】『寒気氾濫』(1997年)33頁~
      参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター 鈴木 良明    司会と記録:鹿取 未放


71 空間へ踏みいりて出られなくなりし一世(ひとよ)にてあらん  紙を切る音

      (レポート)
 結句の「紙を切る音」がこの歌を深遠なものにしている。「紙を切る音」は、誰かが、その空間の一角を切り開いていく音として暗示されており、その音によってこの空間の存在、その外側の存在、紙を切ったものの存在が強く意識されてくる。そして、この空間とは、単に、大気圏といった狭い意味ではなく、ビッグバンによって拡がった宇宙全体に及ぶものであり、その誕生の謎にまで思いを馳せさせる。(鈴木)


        (当日意見)
★「紙を切る音」が効いていますよね。(鹿取)
★ただ、この空間といった場合、宇宙全体を思い起こすのではなく、もっと形而上的に
 別の空間というのかなあ、それを考えた方が面白いのかなあという感じもしている。
 空間というひとつの閉ざされた形而上的なもの。そこから紙を切る音が出てくるの
 で。それが精神的なものなのか認識の問題か分からないけど。科学的な空間よりもそ
 ういった認識の壁って考える方がおもしろいのかな。ある人はもう紙を切っているか
 もしれないんですよ、認識の空間を飛び越えて。でも自分を超えるなんってその一つ
 の空間を超えていることになるし。まあとにかくレポートなので一応分かりやすい形
 で書いてみたんですけど。(鈴木)
★空間から出ちゃった人というのは、鈴木さんの今の話では悟りとかそういうことなん
 ですか?(鹿取)
★そうでもなくて、ひかりの向こう側というのと同じような。でもこの歌、実感として
 分かる。紙を切らないと閉じこめられているという意識は出てこないんですよね。
   (鈴木)
★そうですよね。閉じこめられて出られない一世というのはある程度の人が言えそうだ
 けど「紙を切る音」は渡辺さんにしか出てこない。そしてここが言えないと深い歌に
 ならない。でもこれは難しい歌ですよね。(鹿取)
★先に紙を切った人の存在を暗示する歌ではないですかね。(曽我)
★後先とかはあまり関係ないように思います。誰が紙を切って真っ先に空間を出るか、
 というような競争ではないと思います。現実には奥さんが紙を切る鋭い音が響いてき
 たのかもしれない。そこからはっとなって、一字空きより上の部分の認識が瞬間に脳
 裡をかすめた。ダリの夢の絵みたいに遡って。(渡辺さん、ダリは嫌いみたいですけ
 ど。)でも、できあがった歌では、「紙を切る音」は形而上的なものとして鋭く作用
 している。また、踏みいり」と自発ですから、生み落とされて否応なくどの人間も閉
 じこめられている、そういう空間でもなさそうですね。(鹿取)


       (追記)
 「絶叫をだれにも聞いてもらえずにビールの瓶の中にいる男」(『寒気氾濫』)という歌もあったが、これはまた全く違う種類の歌。次の歌の紙をやぶることと動作の上だけではない71番歌との共通項がありそうだ。(鹿取)
  紙やぶる音ぴっとして冬ふかし配偶者すこし哲学をする  『泡宇宙の蛙』
  出口なきおもいというは空間が葱の匂いとともに閉じらる 『寒気氾濫』
コメント
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