かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 114 西班牙⑥

2024-10-18 10:47:57 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 馬場あき子の外国詠13(2008年11月実施)
    【西班牙4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P65~
      参加者:T・K、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:T・S   司会とまとめ:鹿取未放
          


114 西班牙の野を行きし天正使節団の少年のみしアマポーラいづこ

      (レポート)
 天正遣欧使節は、キリシタン大名大友宗麟、有馬晴信、大村純忠がローマに遣わした使節。結句のアマポーラはスペイン語で雛罌粟、ポピーの一種である。ヨーロッパではこの花の群生をあちこちで見ることができるという。(T・S)


       (まとめ)
 次の章で天正使節団については詳しく検証するので、ここでは概略だけ述べる。天正遣欧少年使節団は4人、正史の伊藤マンショほか中浦ジュリアン、原マルチノ、千々岩ミゲルである。彼らはバテレンを保護した信長時代の1582年、長崎を出港、難行の末8年後に金銀財宝を積んで意気揚々と帰国する。しかし政権は秀吉に移っていて、彼らはすでに時代に歓迎されない存在だった。この後、追放、処刑と更に苦難の道をたどることになる。ちなみに、支倉常長ら慶長遣欧使節団の派遣は1614年で、天正使節団の32年後である。
 天正使節団として派遣された時の年齢は13歳から14歳、まさに未だいたいけな少年である。そんな少年のわかやかな姿態とアマポーラの可憐さが微妙に重なる。好奇心一杯の少年達がスペインの野で見たアマポーラ、作者は数奇な運命をたどった少年達を偲びながら、なにか形見のようにアマポーラを求めている。この旅は5月下旬から6月初旬、ちょうどアマポーラの花期にあたる。野原一面に咲くアマポーラを見たとしても、もちろんそれは400年も前の少年達がみたアマポーラではない。薄幸の少年たちを偲んで「いずこ」と余韻を持たせている。(鹿取)

コメント
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