2025年度版 渡辺松男研究45(2017年1月実施)
『寒気氾濫』(1997年) 【冬桜】P151~
参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、
渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放
375 冬の日を脇道に入りどこよりも日にあたたかき塀に沿い行く
(レポート)
これは実際に動いている作者の姿がよくみえ、また誰にでも共感よぶひなたぼっこのような温もりがあろう。しかし一方で「どこよりも」と一首の腰の部分に、つよく作者の意識を打ち出した様にも感じる。日向、ひかり、霊のあたたかさ。(真帆)
(当日発言)
★突出していますね、私。(真帆)
★いや、全体としては「向こう側」を考えている訳だから、霊とか考えても特に突飛ではないと思いますが。冬の日のぬくみを求める気分は誰にもよく分かりますね。(鹿取)
376 死ののちのわが思わねばなき時間 冬桜咲く日向を歩む
(当日発言)
★私はこんなふうに読みました。下句、今は自分は生きていて思考できるから、今という時間があって冬桜の咲く明るい道を歩いている。自分が存在しているということの不思議、そして存在しなくなるという不思議、この歌はそういうことをうたっているのだと思います。(鹿取)