2025年度版 渡辺松男研究46(2017年2月実施)
『寒気氾濫』(1997年刊)【冬桜】P154~
参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:①曽我 亮子 ②渡部 慧子
司会と記録:鹿取 未放
379 寒々とあるばかりなる此岸にて下仁田葱をひもすがら抜く
(当日発言)
★下仁田葱は群馬県の特産で、嬬恋のキャベツとか松男さん地元ですし、よく歌ってますね。自分自身がこういう作業をしなくても、ずっと目にしてきた情景なんでしょうね。此岸という語で一気に自 分の内面に引きつけた歌にしています。また、地元の歌ではなく大きな世界を提示していますね。(鹿取)
★此岸にての「にて」が場所を表すのか理由を表すのか、ちょっと迷いました。「あるばかり」がとても強調されていて、此岸「だからこそ」と取ると、下仁田葱がすーすーと人間みたいに抜けていくような感じもして……違うでしょうか?(真帆)
★格助詞「にて」は、この場合「場所」を表すと読みましたが、表には「原因・理由」も載っていますね。(鹿取)
★そうすると、「にて」は場所ですか?理由ですか?(M・S)
★場所ととっても理由ととっても、言っていることはあまり変わらないと思います。「此岸にいて」でも「此岸であるから」でも。(鹿取)
★この世は世知辛くて望みも無いので…とか。(真帆)
★いや、この場合の此岸はそういう世俗的な意味合いでは使っていないと思います。存在していることそのものが「寒々とある」という把握で、私は慧子さんのレポートの「高い視座を得ている」辺りに賛成です。(鹿取)
★シ、シ、ヒってiの音を続けていますけれど、存在の寒さを感じつつ、〈われ〉は一日中葱を抜く労働 をしている。ことさらに言っていないけど、そういう労働を大切なことと捉えていると思います。だから葱を人間に例えているとかではない。(鹿取)
(レポート②)
畑とせず此岸とすることで生活や労働の捉えが大きくなり、下句「下仁田葱をひもすがら抜く 」には儚さや美しさまで感じられる。「寒々とあるばかりなる」を否定的に解したくなるのだが固有名詞下仁田葱と此岸によって全体が否定でも肯定でもなく、現実を浮かび上がらせながらどことなく高い視座を得ている感じ。(慧子)