ブログ版清見糺短歌鑑賞21 99年 鎌倉なぎさの会 鹿取未放
137 東シナ海おだやかに凪ぎうりずんの嘉手納に核がごろごろといる
「かりん」99年7月号
結句の「いる」が眼目だろう。うりずんの美しい沖縄と禍々しい核の取り合わせ。この二項対立の単調さを救っているのは、核を無気味な生き物のように「いる」と表現した手際による。しかし、核は甲羅のような硬いモノで覆われてわれわれの目からは隠されている。嘉手納、核、ごろごろと硬いカ行音を並べて大いなる力で拒否される違和感を表しているようだ。
137 東シナ海おだやかに凪ぎうりずんの嘉手納に核がごろごろといる
「かりん」99年7月号
結句の「いる」が眼目だろう。うりずんの美しい沖縄と禍々しい核の取り合わせ。この二項対立の単調さを救っているのは、核を無気味な生き物のように「いる」と表現した手際による。しかし、核は甲羅のような硬いモノで覆われてわれわれの目からは隠されている。嘉手納、核、ごろごろと硬いカ行音を並べて大いなる力で拒否される違和感を表しているようだ。
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