かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 30

2022-03-23 14:21:54 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の4(2017年9月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【大雨覆】P24~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、A・Y、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放

     
30 地に落ちしわれ人間となりきりて夕鶴のごと生きたかりしを

       (レポート)
 夕鶴のように身の羽を一本一本抜きながら愛しい者へ贖罪しながら生きてゆきたいというのだろうか。空をとぶ鳥は尊いが、自分は原罪を負う人となり地に在るのだ、と詠っているのだろうか。
  (真帆)


        (当日意見)
★贖罪ではないような気がしますね。むしろ逆じゃないですか。自分を犠牲にして生きられるだろ
 うかという問いかけの歌でもあるんですね。(A・Y)
★そうですね、鶴は罪を犯したわけではないので、贖罪は違いますよね。(鹿取)
★夕鶴のように生きたかったけれど生きられなかったと歌っている。(T・S)
★罪深い人間として生まれてきたので、せめて他人のために生きたかったがそれも出来なかった。  (真帆)
★自由自在に時空を超えた自分がいて、生きていた自分をみているような感じ。(慧子)
★うーん、この一連、全て鳥の歌で、今までの4首(26 ひかりより繊きおもいというものを鳥
 は知りつつ天翔るらん)(27 鳥と呼びはてしなき空見上ぐればきらきらと神の花粉は飛べり) (28 呼びかけてかならず寒くなるわれに茜の雲よ鳥消えてゆく)(29 やすらぎのなきこ 
 とを地に庇いあい鳥はひろげる大雨覆(おおあまおおい))は、人間の視点から鳥を客観的に見て 
 うたっています。でも30番歌の主体はもともとは鳥ですよね、「人間となりきりて」というん 
 だから。でも、人間にはなりきれなかったし、相手の為に自分を捧げ尽くすことは出来なかった。
 終わってしまった生を俯瞰しているような感じですね。初句の「地におちし」はどう取ったらよ
 いのでしょう。神の花粉である鳥が、神の怒りを買うような罪を犯して、人間界に落ちてきたの
 でしょうか。私にはもう一つ、この歌、掴みきれないです。(鹿取)


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