かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 31

2022-03-24 09:54:21 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の4(2017年9月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【大雨覆】P24~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、A・Y、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放

     
31 まぼろしがおき去りにせししんじつのひとつの尾羽足元に見る

       (レポート)
 「真実の尾羽」とは、作者の足もとに、ひらりと落ちている羽のことだろうか。いや、前の30番のうた(地に落ちしわれ人間となりきりて夕鶴のごと生きたかりしを)の夢想を受け、それが幻と消えてしまったことを詠み、尾羽の具体を余情とともに目にみせたのだろう。(真帆)


      (当日意見)
★はい、前半はわりとリアルの歌なので、30番歌(地に落ちしわれ人間となりきりて夕鶴のごと
生きたかりしを)をこの歌は受けているのでしょうね。人間となりきれなかった、というのか夕
 鶴のように献身しきれなかったというのか、その両方か、解釈が難しいですが。(鹿取)
★夕鶴の「つう」というのは実は幻だったんだ、本当は足元に一枚の尾羽があるだけだ。だから悔
 いがないように生きたいなって。この一連幻想的で美しいですよね。(A・Y)
★するとこの歌は与ひょうさんの目から歌っているのですか?(T・S)
★いや、自分も鳥になりたかったのだから重なっているのでしょう。(A・Y)
★歌は人生訓ではないので、悔いが無いように生きようとか、松男さん、そういうメッセージを歌
 に盛り込む人ではないです。映画などでも、ではあれは全て幻だったのかと思っていると、幻で
 はなかった証拠のように現実のモノ(この歌では尾羽)が残っている、みたいな謎を残しつつ終
 わる手法がありますね。幻とも現実ともつかないような、そのあわいのようなところで呆然とし
 ている、そんな感じです。(鹿取)


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