渡辺松男研究2の10(2018年4月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
【邑】P50~
参加者:泉真帆、K・O、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取未放
77 せつせつと蜻蛉ら交尾しつつ飛び遥かなり近きなり遥かなり空
(レポート)
下句の修辞の巧みさに注目した。遥かなり、近きなり、遥かなり、と繰り返すことによって、韻律と同時に蜻蛉のかろやかさ、ゆれるさま、陶酔感、そして作者自身の正気が遠くなるような夢見心地な抒情も表現されていると思った。(真帆)
(当日発言)
★レポーターは蜻蛉を「せいれい」と読まれましたがここは「とんぼ」だと思います。とんぼと読
めば2句の句割れしている「蜻蛉ら交尾」が7音に収まるので。下の句は揺れながら高く低く飛
んでいる感じですよね。それで空が遠くなったり近くなったりする。それを「遠く」ではなく「遙
か」と言ったところに、はろばろとした寂しさみたいな気分が滲んでいるし、レポーターがいう
ように陶酔感も呼び出す仕掛けだと思います。(鹿取)
★交尾だから恍惚感。自分の体験からしか歌はうたえないから、それが反映していると思いました。
(慧子)
★私は自分の体験以外からも、いくらでも歌は作れると思います。何か対象を観察してそれを詠む
こともできるし、全くの未知の物事を空想で歌うこともできると思います。もちろん、それをう
たうからには、どこかで自分に繋がってはいるんでしょうけれど、その繋がりは必ずしも体験を
通しているとは思いません。(鹿取)
★時間のことも感じられる歌だと思います。昔からずっと続いている。(K・O)
★そうですね、生殖は子孫を残す行為で大昔から営々と続いてきたんですね。(鹿取)
★蜻蛉の後尾はすぐに終わって、産卵する場所を探すためにオスとメスは繋がって飛ぶそうです。
別にこの一首が間違っていると言うのではないですが。(真帆)
★まあ、詩的真実というのもありますから。作者はそういうふうに見たって事ですよね。(鹿取)
(後日意見)(2019年8月)
この歌の下の句について、どこかで見たような気がしていたが次の歌が下敷きになっているのかもしれない。
ニコライ堂この夜(よ)揺りかへり鳴る鐘の大きあり小さきあり小さきあり大きあり
北原白秋『黒檜(くろひ)』
昭和12年のクリスマスイブ、白秋は眼底出血のため神田駿河台の病院に入院していた。病院近くのニコライ堂からはクリスマスの鐘が揺り返すように大きく小さく小さく大きく聞こえてくる。眼を病む白秋の耳は研ぎ澄まされていたことだろうが、鐘のゆったりした揺れを捉えておおらかな美しいリズムを作っている。(鹿取)
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