かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 129(ネパール)

2019-12-17 21:35:44 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)

129 カリガンダキ河流域すべて眠れるを満月と山と一夜眠らず

     (レポート)
 「カリガンダキ河流域すべてが眠れるを」とは大きくとらえ、作者の度量を思うのだが、作者の位置を想像するに、下の句は「満月と山と」とあるのみだ。ヒマラヤはどこも山ばかりで場所をしぼれないのだが、次の文章を参考に鑑賞したい。
 「流域のある部分はアンナプルナやニルギリを東に、ダウラギリを西にして大峡谷をつくっており、それに沿う道も古くからあった。もともとヒマラヤ山脈の北側、チベット高原に続くムスタンにカリガンダキ河は源流をもつことから、他のルートより中国、チベット、インドをつなぎやすく、峡谷沿いの道は、1300年前から仏教文化が行き来することになり、古い仏教ロードであった。」
 これを読んで思うのだが、作者の位置にあまり拘る必要はなく、掲出歌には時空を包み込む視点がひそんでいたのだ。交通手段の発達、また情報伝達の敏速化によりカリガンダキ河に沿う道は用を終えたかのごとく、またおりふしの満月に照らされ、まさしく眠っていると、初句から3句までの作者の感慨である。眠らないのは「満月と山と」そして作者であり、月が眠らないから山も眠らない、作者も胸中去来するものと共に、冴え冴えとして一夜を明かすのである。(慧子)


      (当日意見)
★引用は、出典を必ず書いてください。井上靖の小説の続きでしょうか?カリガンダキ河に沿う道
 が用を終えたから眠っているとレポーターは書いているが、道路は今でも重要な交通ルートです。
 土地の人は飛行機に乗るような金銭的余裕はないですから、この道を歩きます。2003年の旅 
 行当時、この道は車が通れるような整備がされていなくて、土地の人は2日かけて歩いていまし 
 た。また馬や驢馬の隊商も通っています。なくてはならない道です。この歌の眠れないのは比喩 
 的な意味ではなく、流域の人間も含めた動植物みんなが眠っている時間なのに、ということでし
 ょう。煌々と照る満月と、それに照らされている山と、それらを感動をもって見つめている自分
 は眠らないでいる、という歌でしょう。(鹿取)


      (後日意見)(2019年12月)
 ネット情報によると、馬場の旅(2003年)の3年ほど後、2007年頃、ジョムソン街道にバスが運行されるようになったらしい。しかしポカラからジョムソンまでバスを乗り継いで10時間ほどの行程というから、悪路でもあるし相当疲れそうだ。(鹿取)

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