かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 215

2022-12-20 11:12:15 | 短歌の鑑賞
   2022年度用 渡辺松男研究2の28(2019年10月実施)
     Ⅳ〈水〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P138~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


215 水が粘りこの世へもどれなくなりし水たまりの底のわれと夕焼け

     (レポート)
 作者は水たまりに足をとられたのだろうか。その水たまりには夕焼けも映つているのだろう。「この世へもどれなく」なつたというのが、大きな表現である。(岡東)


    (紙上参加意見)
 この水は作者を異界へ連れていく水。粘るその底に作者を閉じこめてしまった。けれど作者はそこで夕焼けを見ている。すでに開き直って、異界を楽しんでいるのだ。
  (菅原)


       (当日発言)
★「この世へもどれなくなりし」は「水」に掛かるのか、切れるのか?われは水たまり
 の底にいるの?(真帆)
★われと夕焼けは同列で、水たまりの底にいるわけ?(A・K)
★そうですね、でもこれは「この世へもどれなくなりし」ってあるから、リアルな歌
 じゃないよと言っているので却って読みやすい気がする。(鹿取)
★水たまりの底にわれは沈んでいるんだと思う。そして、水たまりに映る夕焼けを見て
 いる。(真帆)
★水たまりの底には夕焼けは映らない、映るとしたら水たまりの表面でしょう?
   (A・K)
★プールみたいなところにいるとすると、水は夕焼け色になっている。(真帆)
★自分は水の底にいるけれど向こうには夕焼けが見える。絶望の中の希望のようなもの
 かと読んだんだけど。情景がよく分からない。(A・K)
★213番歌(われの見る水はみずあめみずあめがねっとりといま蛇口から垂る)のつ
 づきで読むと、水たまりがこの世に戻れなくなったのは時間に関係があるのかな。水
 たまりだから人間が沈めるほど深いとは思わなかったけれど、水たまりの底にいるっ
 てよく分からないのだけど、粘った水に沈んでいたら苦しいだろうなあ。頭は外に出
 ているのかしら。そこから夕焼けを見上げている。まあ、松男さんどこにでも行ける
 人だから粘る水たまりの底に沈んでいてもいいんだけど。(鹿取)



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