かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 120

2022-08-18 11:49:59 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の16(2018年11月実施)
    【樹上会議】『泡宇宙の蛙』(1999年)P80~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、
         渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


120 鳥肌をワイシャツのしたに隠しつつピッコロを吹くようにはたらく

        (レポート)
 「鳥肌」が効いている。〈樹上会議〉をしているのだからいまは鳥人間になっているのだろうが、この「鳥肌」は、人間がぞっとしたとき肌に出来るぷつぷつと気孔が突起した状態のことと重ねて言っているのだろう。「ピッコロ」の軽妙な音感が、仕事の悩みを深追いせず軽快に働く様子を表現しているように感じる。(真帆)


          (当日意見)
★鳥肌が立つの鳥肌ではなくて、鳥になってしまった人間たちが働いているので、その肌を
 ワイシャツに隠している。上の句、下の句の取り合わせの問題ですが、鳥肌を隠すと言う
 ことをわざわざ言う必要があるのかな。たとえば119番歌「カーソルをドラミングする
 君の背にからっと啄木鳥(ケラ)の空がひろがる」では鳥になったんでしょう。それなの
 に、鳥肌を隠してさも楽しげに働いているんですよって言っている。119番でせっかく
 ふあっと広がったのに、もう一度 元に戻している感じ。説明的というか、解釈している
 というか。ピッコロを吹くのはいい感じなのに。(A・K)
★同感です。ファンタジーだったら、鳥になるって楽しいはずなのに、なんでわざわざ鳥肌
 って出すんだろうって。鳥肌と言われればどうしたって鳥肌が立つを連想するわけだし、
 そういうものを隠しながらピッコロを吹くように軽快に働いている。これだと何かサラリ
 ーマンの辛い現状とか通俗的な方向に読者の思いが行ってしまうような気がする。
   (鹿取)
★ピッコロを吹くところには、サラリーマンは人間関係が嫌でも、辛いけど、まあそれに深
 入りしないでピッコロでも吹いて、というところもあるのかなと。(真帆)


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