かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 388

2021-12-30 16:58:19 | 短歌の鑑賞

  渡辺松男研究47(2017年3月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【睫はうごく】P157
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:鈴木 良明     司会と記録:鹿取 未放


388 あじさいの藍濃きこれの世に覚めて足裏ひそと湿りていたり

     (レポート)
 梅雨の季節を代表するものと言えば、「あじさい」、しかも「藍濃き」紫陽花は、雨を感じさせてその季節の気分を一層高める。そんな季節の朝に目覚めて、足裏がひそと湿っているのに気づいた。梅雨の季節と足裏の湿りとの関係性のなかに、これの世(環世界)とわれとが一体化した、深い関わりを見たのである。(鈴木)


     (当日発言)
★「環世界」というのはどういうものですか?(鹿取)
★環境世界のことです。わたしと繋がりがある世界、一体化している世界のことです。それほど深
 い意味はないです。(鈴木)
★私はもっと単純に梅雨の時期に覚めてと読んでいたのですが、それにしては「これの世」が大げ
 さだなあと思って。自分と一体化した世界と聞いて納得しました。(真帆)
★「覚めて」がとても大切な役割をしていると思います。覚醒と目覚めるとふたつの意味を持って
 いると思います。夢を見ていたのかなあとまで想像させるしくみになっている。(慧子)
★「これの世に覚めて」以外は普通の歌だけど、この言葉で凄い歌になっている。(M・S)
★私も「これの世」で日常から飛躍していると思います。これの世というからにはあれの世、普通 「あの世」って言いますけど、に対応させているんですよね。ということはやはり存在論の領域
 ですよね。それから皆さん全員「あしうら」って読まれて、確かに広辞苑には「あしうら」しか
 出ていないですが、「ひそと」という柔らかい古語に対応させて私は「あなうら」と読みたいの
 ですが。まあ、ルビは無いので作者の意図は分かりませんが。いずれにせよ、「あじさい」「あ
いこき」「あなうら」と頭韻を踏んでいてなだらかですね。(鹿取)

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