渡辺松男研究47(2017年3月実施)『寒気氾濫』(1997年)
【睫はうごく】P157
参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
389 六月のもの思(も)うも憂き雨の日は胸のあたりに古墳が眠る
(レポート)
上の句の「もの思うも憂き」には梅雨時の鬱陶しさが詠まれているが、そのような雨の日にあって、「胸のあたりに古墳が眠る」と詠んでいる。これが「現代の墓」だと生々しさが残り、鬱陶しい気持ちがいや増すが、「古墳が眠る」には、その生々しさが消えて、時間を経てずっしりと重く鎮まり返ったものが、あるなつかしさを伴って作者の胸に受容されているのだろう。(鈴木)
(当日発言)
★松男さんの歌にはよく古墳が出てきますがレポート聞いてこの歌よく分かりました。(慧子)
★古墳は大きいからお墓というより丘って感じですね。(鈴木)
★上句の「もの思うも憂き」はどう解釈するんですか?(真帆)
★ものを思うのもめんどくさい。(M・S)
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