渡辺松男研究2の10(2018年4月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
【邑】P50~
参加者:泉真帆、K・O、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取未放
74 いただきゆ君が手をふる青あらし古墳そっくり抱きたくてわれ
(レポート)
小山のようにこんもりと林に覆われた古墳の頂きから君が手をふっている。すると青嵐もろとも君の心が吹いてきた。青葉のそよぐその古墳もろとも「そっくり抱きたくて」という熱く壮大な相聞歌だと感じ、ほーっと溜息がでてしまった。(真帆)
(当日発言)
★私はあまり相聞とは思いませんでした。古墳にシンパシィを感じていて、そこに青あらしが吹い
ている。そして古墳の頂に立って(きっと小さな丘なのでしょう)、恋人だか妻だかが手を振っ
ている。昔話の絵本に出てくるような漫画チックな情景が浮かんでくる。男と女の情愛がテーマ
なのではなくて、古墳・青あらし・心の通じる相手、そういうものひっくるめた眼前の風景への
讃歌と読みました。(鹿取)
★過ぎてしまった時代、あるいは土の中に埋まっていて見えなかったもの、どちらかというと「死」
が近いもの、松男さんの歌って、すぐそこに死があるんだけど生命力というか再生力というか、
生命賛歌というのがこのあたりにも出ているなあと思って。古墳って死者のものなんだけど、な
まなましくなくて、こんもりしていて、人間の肉体のようで。その天辺から君が手を振っている
って、普通は見えないと思うけど、でも見えるような存在感があって凄いなあと。俳句のように
作られているのに、この韻律感は何でしょう。土着性もあって生命感もあって、それで死が近い。
松男さんの死生観がよく現れている一首だと思いました。(K・O)
★松男さんの歌ってどんなに深刻でもユーモアがあったりしますね。この歌も単純化された構図だ
けど、死生観とか深いところに及んでいて、でも表面はダイナミックで楽しい歌。土着性という
K・Oさんの意見、とても勉強になりました。(鹿取)
(後日意見)
松男さんの歌にも登場する榛名山とか赤城山にある数基の古墳の写真が手元にある。どれも前方後円墳で、整備されていて、頂上に立つ人が麓からくっきり見えるしくみになっている。(鹿取)
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