かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 142

2022-10-08 12:57:55 | 短歌の鑑賞
  2022年度 渡辺松男研究2の19(2019年2月実施)
   Ⅲ〈錬金術師〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P96~
   参加者:泉真帆、M・I、岡東和子、A・K、T・S、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放


142 重圧のかかる踵に生きているわれとおもいて立ち上がりたり

     (レポート)
 生まれ落ちて私たちは生きねばならない。いやだなと思ったり、しんどいと漏らしたりしながら、気持ちを切り替えたりして日々を重ねる。そんなことも含めて作者の身体表現がここにある。「重圧のかかる踵に生きているわれ」と認識があって前のめりではなさそうな生の感じがある。重荷が体のどこかに掛かっている状態を肩などとせず踵ととらえて新鮮で説得力がある上に、「立ち上がりたり」という結句によって生をひきうけていることがうかがえる。(慧子)


     (当日意見)
★踵にの「に」の使い方はなかなかと思いますが、渡辺さんは何をいいたかったのかしら。
 先月鑑賞した歌と作り方が似ている気がするけど、重圧って存在している重圧かしら?も
 ちろんこのまま分かるんだけど、その奥にもっと何かがあるんじゃないかと考えたときの
 話です。(A・K)
★踵を意識して立ち上がるんですよね、。レポーターのおっしゃるように身体表現があっ
 て、感触として伝わってくる面白さもあると思うのですが、あまり嬉しくない重圧がある
 ような気がします。自分の身の重さを自分の身で生きているというところを、引き受けて
 生きているんだと。レポーターの書いている通りと思います。(真帆)
★レポーターの説明でこの歌がよく分かる気がしました。特に前向きとかそういうことは考
 えなくていいように思いますが。(岡東)
★私はこの歌を間違って「重力のかかる踵」だと思い込んでいました。というのは松男さん
 の歌のテーマの一つが「重力」だと思うからなのですが、重圧だったのですね。歌の鑑賞
 は自由なのでそれぞれでいいですけど、松男さんの歌の造りはあんまりリアルな現実を人
 生的にうたったものではないですよね。まったくそういう歌がない訳ではないけど。だか
 ら、私は書いてある通りに人生的な色づけはせずに読むんですけど、ずいぶんさらりとし
 た歌で確かにA・Kさんがおっしゃったような、奥にまだ何かあるんじゃないかという感
 じは残ります。(鹿取)
★レポーターが書いていらっしゃるように、肩などでなくて踵であることに新鮮さはあるけ
 ど、その他はすごく陳腐じゃないですか。私だってこれくらいの歌は作ります。だから人
 生を重ねないで渡辺松男さすがって思う為にはどう読んだらいいのか分からないのです。
 重力だったら体感として分かるけど、人生の重圧だったら陳腐じゃないですか。
   (A・K)
★では人生訓じゃないとしたら、踵と言っているんだから前から来る風圧のようなものを受
 けて踏ん張っている感じがある。父の重圧かもしれないし、哲学的な重圧かもしれないけ
 ど。(真帆)


     (追記)(2020年4月)
 この歌の「重圧」を「重力」と覚えていたのは次のような歌との混同があったためかもしれない。(鹿取)
   重力は山のぼるとき意識せり靴の踵に黒牛がゐる  『蝶』 

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