かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

写真入り 馬場あき子の外国詠 140(ネパール)

2019-12-28 18:42:03 | 短歌の鑑賞
      
      【再掲】私たちが泊まったマウンテンリゾートホテルはピンクの○印。どこに行くにも下の街道まで出なければならない。


      
      2003年当時、ジョムソンにただ1台あった4輪車はこのトラクターだけ。
      土地の子供たちが追いかけてきて伸び乗ったりしていた。
      この道を馬で下った。


      
      【再掲】馬場あき子の乗る白い馬



  写真入り 馬場あき子の外国詠17(2009年4月実施)
    【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)86頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)


140 わが馬のよごれゐたれば悲しきに馬は隊列を出でんときほふ

     (レポート)
 残念ながら、このお歌の状況は私には分からない。馬場先生を乗せてきた馬が今、糞をしたいと、隊列から離れたがっているのだろうか。それとも長い道中で、汚れてしまった馬を洗おうと、馬丁が近くの川に馬を引き入れんとして、馬たちが先を争って隊列を崩しているのだろうか。なぜその時に「悲しきに」という文言が入るのだろうか。諸賢のご解釈を乞う。(T・H)


     (当日意見)
★現地の人々の生活の苦しさが馬に出ていて、それが悲しい。(N・I)


        (まとめ)
 139番歌(馬なければ歩みきれざりき高地ムスタンゆきゆきて四本(よもと)の柳植ゑきつ)の解説に書いたように、ジョムソンでの移動は主に馬を使った。一泊した翌朝、中腹に建つホテルの途中まで馬たちが迎えに来た。私(たち)は青くなった。馬に乗るのは初めてな上、つづらおりの急坂である。さらに片方は下の街道まで何もない断崖絶壁である。あまつさえ登りならまだしも下りである。馬の背中に乗っただけで前につんのめりそうになる。それだけではない、道幅は狭く馬二頭は並んで歩けないもどなのに、当日寄せ集めの馬十数頭はまったく統制が取れていないため、それぞれの馬が断崖絶壁側をまわって前の馬を追い抜こうとする。「馬は隊列を出でんときほふ」はそういう状況を詠んでいる。今にも絶壁を転げ落ちるようで恐い。「追い抜かなくていいよ、このまま行こうね」と私は手綱を引いて自分の馬を必死で宥めた。先生はそういう馬たちや仲間の行動を面白がっていらしたのかもしれない。歌は馬の汚れの悲しさ、ひいては土地の貧しさのかなしさとしての視点に収められた。馬は農家からかり出されたもので、日頃の手入れが十分ではなかったのだろう。特に先生は白い馬に乗られていたのでよけいに汚れが目立ったのだろう。(鹿取)
コメント
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