かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 133(ネパール)

2019-12-21 17:44:06 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)


133 東より陽のけはひありまほに見るニルギリに向けば卑しきかわれ

     (レポート)
 東から太陽が昇ってくるようだ。真っ正面からニルギリに向き合えば、ますます自分の小ささが思われ、謙虚に頭が下がる。日本人は太陽に対して特別な感情を持つ(太陽神信仰、初日を拝む)そのお気持ちを馬場先生は、率直に述べられた。(T・H)


     (まとめ)
 一晩中、ニルギリにのぼる満月を見、ニルギリと真向かっていた作者、明け方を迎えて、ニルギリの背後がほのかに明るみを増してきた。その微妙なひかりのかげんを「陽のけはい」と捉えたところが優れている。「まほに」は、「真秀」あるいは「真面」か。「源氏物語」には「正面から充分に見極める」意味で使われている。明け方のニルギリと真正面から向き合っていると、と言うのだからもちろん位置関係のみではなく、心の傾け方を言っている。原初のままの姿に向き合っているといかにも自分は卑小な存在に思えるという。結句の「か」は疑問ではなく、詠嘆だろう。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 132(ネパール)

2019-12-20 21:53:42 | 短歌の鑑賞
 *渡辺松男歌集の続きをリクエストくださっている方、もう少しお待ちください。月1度、6首
  ~10首ほどを鑑賞していますので、なかなか追いつけません。

  馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)


132 いつしかに弓月が嶽に雲わたる声調を思へりき雲湧くヒマラヤ

     (まとめ)
 柿本人麻呂の「雲を詠む」と題した万葉集の歌「あしひきの山川の瀬の響るなへに弓月が嶽に雲立ちわたる」がある。「山川の流れる音が高まるにつれて、弓月が嶽に雲が湧きのぼってくることよ。」の意。「あしひきの」は「山」に掛かる枕詞。「なへに」は、上代の助詞で「~するに従って」「~するにつれて」の意。力強い声調をもつダイナミックな歌で、島木赤彦が誉めたことから有名になったという。馬場の歌、雲湧くヒマラヤを眺めていると、いつのまにか人麻呂の「弓月が嶽に雲わたる声調を」思いだしたことだというふうに繋がる。雄渾なヒマラヤの景色を前にした心のたかぶりが伝わってくる。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 131(ネパール)

2019-12-19 22:02:29 | 短歌の鑑賞
 *渡辺松男歌集の続きをリクエストくださっている方、もう少しお待ちください。月1度、6首
  ~10首ほどを鑑賞していますので、なかなか追いつけません。

  馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)

131 処女峰の全容をもて迫りたるニルギリを見きただ二日のみ

      (レポート)
 四千万年前、インド亜大陸を乗せたプレートが、ユーラシア大陸に向けて進むにつれ、両者を隔てていた海は狭まった。海底の地殻はユーラシアプレートの下に沈み込み、マントルの一部になった。山頂付近から発掘される海洋性の化石により、鉛直方向に動いたスケールを知ることができる。そのヒマラヤ山脈の一つである処女峰のニルギリに、今、馬場先生は対峙しておられる。何万年前の出来事と対峙し、人間の存在を考えるに、たったの二日ではあまりにも短かすぎる。永遠にニルギリと対峙していたい、馬場先生のお気持ちである。(T・H)


      (当日意見)
★ヒマラヤの造山活動の時期については、前の歌でも言ったように諸説あるようですが、レポータ
 ーが書かれている「何万年前の出来事と対峙し」という所は、私は違う意見です。対峙している
 のはあくまでも目の前にあるニルギリで、山の「むざね」が向こうから自分に迫ってきたように
 感じた。けれども、ニルギリに向き合えたのはたったの2日間に過ぎなかった。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 130&127訂正版(ネパール)

2019-12-18 18:49:47 | 短歌の鑑賞
 *渡辺松男歌集の続きをリクエストくださっている方、もう少しお待ちください。月1度、6首
  ~10首ほどを鑑賞していますので、なかなか追いつけません。

  馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)

130 真夜さめて七千メートルの処女峰の月光を浴ぶむざねと対す

     (レポート)
 今、馬場先生はムスタンの宿にご就寝中、フト夜中に目が覚められた。窓からは眼前に白雪を被った高い峰が月光を浴びて煌々と輝いているのが目に入った。ニルギリは北峰(7061メートル)と南峰(6839メートル)とがある。そのどちらを眺めているかわからないが、これら両峰はいずれも地元住民の反対があって、いまだ未踏峰である。「むざね」と対す……馬場先生は今、何万年前か、インド大陸がユーラシア大陸にぶつかってヒマラヤができた、その生まれたままの姿のニルギリと対峙しておられる。自分の全存在を賭けて対峙しておられる。そこでは人間の小ささ、有限な人間の命など、もろもろの感慨があったことだろう。ここには悠久の地球の歴史と人間の儚い命との対峙がある。(T・H)


      (当日意見)
★インド大陸がユーラシア大陸にぶつかったのは7000万年くらい前だと読んだ記憶があります。最
 もヒマラヤが今の高さに落ち着いたのは2000万年前~数万年前と諸説があるみたいです。 (鹿取)


       (まとめ)
 夜中に目が覚めると月の光に照らし出されたニルギリが見えた。まるで、月の光に呼ばれたような印象を受ける。処女峰であるニルギリが煌々と照る満月の光を受けて神々しく輝いている。一人月光に照り輝く処女峰を眺めていると、おそらく自分にだけ山が真実の姿を開示してくれたと思えたのではなかろうか。〈われ〉は、震撼しながら山の「むざね」とむきあっているのである。「むざね(実)」とは、広辞苑に「身実」の意、まさしくその身、正身、正体などと出ている。(鹿取)


* 地図で調べると、西、東が逆でしたので訂正版を掲示します。

訂正版 127 高き雲西へ去りゆき低き雲東へわたるニルギリの朝

     (まとめ)
 ジョムソンはとにかく風が強いことで有名だそうで、時には風速50メートルということもあるようだ。そんな強風のイメージではなかろうか。ホテルにいて向かいのニルギリを眺めていると、強風に乗って高い雲は西方へ、低い雲は東方へ流れていったということだろう。東西の方向に自信はないが、ホテルからニルギリに向かって左(たぶん、こちらが東)がアッパームスタン、つまりチベット方向、右(西)がポカラの方向で雄大なダウラギリが常に白い姿を見せていた。ということは高い雲はチベット方向へ、低い雲はダウラギリ方向へ流れていたということか。132番歌に〈いつしかに弓月が岳に雲わたる声調を思へりき雲湧くヒマラヤ〉という人麻呂を下敷きにした歌があって、同様にヒマラヤの朝の雄壮な情景をうたっていることがわかる。(鹿取)
 
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馬場あき子の外国詠 129(ネパール)

2019-12-17 21:35:44 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠15(2009年1月実施)
    【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)81頁~  
     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、
         藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会とまとめ:鹿取 未放
                    

ネパールのアッパームスタンに「こしひかり」を実らせた
  近藤亨翁をたずねてジョムソンに行った。
(この詞書のような2行は、「ニルギリ」の章全般に掛かる。鹿取注)

129 カリガンダキ河流域すべて眠れるを満月と山と一夜眠らず

     (レポート)
 「カリガンダキ河流域すべてが眠れるを」とは大きくとらえ、作者の度量を思うのだが、作者の位置を想像するに、下の句は「満月と山と」とあるのみだ。ヒマラヤはどこも山ばかりで場所をしぼれないのだが、次の文章を参考に鑑賞したい。
 「流域のある部分はアンナプルナやニルギリを東に、ダウラギリを西にして大峡谷をつくっており、それに沿う道も古くからあった。もともとヒマラヤ山脈の北側、チベット高原に続くムスタンにカリガンダキ河は源流をもつことから、他のルートより中国、チベット、インドをつなぎやすく、峡谷沿いの道は、1300年前から仏教文化が行き来することになり、古い仏教ロードであった。」
 これを読んで思うのだが、作者の位置にあまり拘る必要はなく、掲出歌には時空を包み込む視点がひそんでいたのだ。交通手段の発達、また情報伝達の敏速化によりカリガンダキ河に沿う道は用を終えたかのごとく、またおりふしの満月に照らされ、まさしく眠っていると、初句から3句までの作者の感慨である。眠らないのは「満月と山と」そして作者であり、月が眠らないから山も眠らない、作者も胸中去来するものと共に、冴え冴えとして一夜を明かすのである。(慧子)


      (当日意見)
★引用は、出典を必ず書いてください。井上靖の小説の続きでしょうか?カリガンダキ河に沿う道
 が用を終えたから眠っているとレポーターは書いているが、道路は今でも重要な交通ルートです。
 土地の人は飛行機に乗るような金銭的余裕はないですから、この道を歩きます。2003年の旅 
 行当時、この道は車が通れるような整備がされていなくて、土地の人は2日かけて歩いていまし 
 た。また馬や驢馬の隊商も通っています。なくてはならない道です。この歌の眠れないのは比喩 
 的な意味ではなく、流域の人間も含めた動植物みんなが眠っている時間なのに、ということでし
 ょう。煌々と照る満月と、それに照らされている山と、それらを感動をもって見つめている自分
 は眠らないでいる、という歌でしょう。(鹿取)


      (後日意見)(2019年12月)
 ネット情報によると、馬場の旅(2003年)の3年ほど後、2007年頃、ジョムソン街道にバスが運行されるようになったらしい。しかしポカラからジョムソンまでバスを乗り継いで10時間ほどの行程というから、悪路でもあるし相当疲れそうだ。(鹿取)
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