どぶりのはっぱ。

どかみんが日々体験したり、感じたこと、愚痴、趣味の話などをつらつらと思うままに綴った日記。

美濃へ。

2015年02月16日 11時28分57秒 | Weblog
残業キングの幼馴染が骨董屋さんをはじめたそうで、昨日は美濃へ。

中学生の頃から骨董が好きで、お店に通っていたそうで、
お宅にお邪魔するとリビングにはあちこちに骨董品が。

置物、食器、刀に鉄砲、屏風に絵画…美術品もたくさん。

その中の一つだけ…



とても状態の良い二眼カメラ。

欲しい・・・とっても欲しい~~

他に、ウランガラスのコンポート、氷コップ、ガラスの醤油さしなど
ガラス好きな私にはたまらないお宝が~~

でも、温かくなったら断捨離する予定だから、我慢我慢

キングは、贈り物用に3点ほどお買い上げ。

写真を撮ったらまた紹介しますね。

いや~いい目の保養が出来ました。

次はお店にお邪魔したいな

お昼前にお宅を辞し、お土産探しにうだつのあがる町並みへ。



美濃紙がユネスコの無形文化遺産になったので、お祝いの旗があちこちに。

この寒い季節、町は閑散としていたのですが、観光客がそぞろ歩き。



町家にはあちこちに雛人形が飾られ、スタンプラリーなども開催されていました。



お祝いの旗とともに目に付いたのは、みつまた。

あちこちに置かれていました。

どかみんは、紙の原料となる植物だとは察したものの、名前までは分かりませんでしたが、
さすがは美濃市出身、残業キングはすぐにみつまただと教えてくれました。

暖かくなって、もっと観光客が来てくれるといいね。

この日は、この後垂井までドライブ

もう一つの予定でもある、キングのおじさん、おばさんちへ。

実は、キング母の一周忌、雪の季節ということもあり、法要はキングの兄弟だけですませました。

それでは寂しいという事で、本尊へおさめる予定のお骨を持ち、法要の代わりにあいさつ回りすることに。

おじさん、おばさんたちも喜んでくれて良かった。

行った先々でお土産をいただき、帰りは車がいっぱいに

それもまたアップできたらしたいですね。

同じ岐阜県でも美濃から垂井ではかなりのロングランでしたが、キングの心は少し軽くなったようです。


土壌酸度計

2015年02月11日 10時29分55秒 | Weblog


とうとう買ってしまいました。

土を容器に入れ、溶液と水に溶かして色を見る…っていうタイプは使った事はありますが、、
ちょっと使い勝手が悪くて

そろそろ、ジャガイモの植え付けシーズンです。

最近、どかみん達の畑ではそうか病になるイモがよく見られます。

連作障害とか色々理由はあるのでしょうが、土壌の酸度も原因の一つと知り、
一度きちんと計ってみようという話になりました。

「ネビジン」を使うとい手もあるそうですが、家庭菜園ではなるべく薬は使いたくないですしね。

母も亡くなった事だし、今年からは量より質をめざして野菜作りをしよう
というのが、私たちの今年の目標です。

母は、なんでもたくさん作って、おすそわけするのが大好きでした。

なので、ひどい時は一つの畑の半分がジャガイモ畑でした

質の向上なんて言いながら、今年もたくさん種イモ買ってしまいましたが

新しい品種を見つけると、つい欲しくなっちゃうんですよね。

普通の品種ならスーパーでも買えるけど、新種は自分で作らなくちゃね。


2015年02月09日 11時14分31秒 | Weblog



久々に行きました。

引き潮のせいか、波打ち際の遠いこと

でも、今年のあま~いトマトのために、畑に入れる貝殻を拾いに来たので、OKです。

それにしても、トマトのためにかける執念…キングすごいです



貝殻を拾うキングを横目に、私は写真を撮りながらフラフラ。

たま~にこうして海に来ると、意外に美しいなぁ…と感心します。



雨の後だったから、風がきついかも…と心配しましたが、全然。

風も無く、穏やか。

癒されます。



そう言えば、どかみん母は海が大好きで、潮干狩りのシーズンには毎日海へ行っていました。

お昼ごはんに戻って来ない事はしょちゅうで、

そうでなければ、まだ小さい妹を背に、私の手を引いて。

寒くて、寒くて海は嫌いでしたが

昔は、今みたいに厳しくなかったので、たくさん取っては
タライ山盛りのアサリを家の前でガラガラ洗ってたなぁ~などと思い出したり。

写真にはありませんが、風が穏やかだったせいか船がたくさん出ていました。

堤防を散歩する親子や、ランニング、サイクリングするカップルなどもいてびっくり。

意外に人がいるものです。

のんびりできた時間でしたが、カメラを忘れたのだけが悔やまれる。

キングも貝殻が拾い足りないみたいだし、次はカメラを持って行こうと思います。

西と東 2。

2015年02月06日 20時01分12秒 | Weblog


キング母が亡くなった時、西本願寺と東本願寺のお経の違いについて書きました。

キングんちは西本願寺、どかみんちは東本願寺です。

どかみんちの檀那寺さんは、すぐ近所で母も親しくさせていただいていました。

しかし、葬儀でお経を聞いてびっくり。

めちゃくちゃ早いし、聞いたこと無いお経。

私が知る東本願寺のとも節が違うような…?

今までも、この檀那寺さんのお経を聞いたことがあったはずだけど、こんなんだった?

次があるって言ってたから、急いでるのかな?

お西さんのお経ばかり聞いていて、忘れちゃったのかな?

なんて思っていましたが、父に聞くと肺の病気をされてから、お経を読むのがつらいのだとか。

それで高速お経なのか…とは思ったものの、なんか腑に落ちず…

なんか、気持ちよくお経が読めない…気持ち悪い…

それは、七日参り、三十五日まで引きずりました。

そのうち…私とキングはお西さんのお経が懐かしくなって来ました

そうこうするうち…キング母の一周忌がやってきました。

12月の寒い時期、折り悪く雪の中、岐阜のお寺は底冷え。

でも、久々に慣れ親しんだお経が読める!

私達はちょっと期待していました。

しかし、この日は何故か今までと違い、すっごいスローテンポ。

節も全然違います。

キングも私も、気持ちよくお経が読めずに、本当にがっかり…

雪の中、肩を落として帰宅したのでした

その後、どかみん母の百か日もあったのですが、これがまた超高速お経で…

父が「お経のテープ貸してあげようか?」なんて言いますが、そうじゃないのよ。

法要の席で気持ちよくお経が読みたいんだけどなぁ…

健康が一番。

2015年02月05日 10時31分27秒 | Weblog


前のブログにも書きましたが、いろいろ身体が悪いです。

もともと、バセドウ病もちで、体調が安定しない私。

体重の増減も激しいのですが、母の体調が悪化するごとにガンガン体重が落ちました。

それは、自分でもびっくりするぐらいのスピードで…

もう少しで30kg台が見えてきて、さすがに喜んでもいられず、
病院へ駆け込みました。

母を看病している時は「もう、このまま母と一緒に死んでもいい」と何度も思いましたが、
人間、いざ不調になるとこんなもんですね

まあ、この頃は本当に母の状態が悪く、睡眠時間は4時間くらい。

食事も、栄養ドリンク1本、ゼリー飲料半分、バナナ半分、菓子パン1個くらいで毎日くらしていたので、
体重が減っても当然だったのですが、母方の血縁はほとんど癌を患っていて、自分もそうなのかと…

1年ほど前から、肋骨に沿って焼けるような痛みもあって、
医師からも検査をすすめられていたので、市内でも内視鏡検査が有名な病院へ。

血液検査、尿検査、エコーなどを受けた結果、なんと痛みの原因は肋間神経痛もしくは腎臓結石

ああ、結石は毎度の健康診断の結果からありうる病気でしたが、肋間神経痛?

こんな、骨折しちゃったの?って思うような激しい痛みが神経痛なの?

などとびっくりしたのもつかの間、医師より

「最近、太った?」

「え、痩せました」

「ふ~ん、脂肪肝だね」

またしても、意外な診断。

食べてないのに、脂肪肝。

結局、胃と大腸の内視鏡検査もしましたが、大腸は異常なし、
胃の方は治りかけの逆流性食道炎があり、
しかも「あ~バレット食道になっちゃってるね~」と先生。

さらに、ピロリ菌もいるから、除去しましょうとの事。

色々悪いところが見つかり過ぎて、ぐらぐら。

ピロリも、父にいたので、可能性は考えてましたが…

バレット食道か…母方の癌家系っぷりを見ると、私も将来は胃癌か…

とにかく、食事に気をつけよう!と決意した矢先。

今度は、キングがビルビリン値でひっかかり、さらに胆嚢ポリープの疑い。

倒れそうになりながら、大反省。

幸い、キングの方は再検査の結果、食事に気をつけながら、とりあえず両方放置していいとの事。

私も、つらかったけど、ピロリは除去できました。

この2年、母の世話にかまけ過ぎ、我が家の食生活をおろそかにしていました。

これは、二人の亡くなった母たちからの警告として、生活の改善をしていこうと思います。

やっぱり、健康が一番ですね。

大変ご無沙汰しています。

2015年02月02日 10時55分13秒 | Weblog


一年以上更新を怠っていました

実は、あの後、本当に色々あって・・・書き出すと長文になりそうですが、少しだけ…

キング母が亡くなった後、私のばーちゃん亡くなって、私の母が亡くなりました。

私の母は、キング母の満中陰前日に緊急入院。

それから、何度も入退院を繰り返し…在宅看護を受けながらがんばったけど、

ずっと入院中だったばーちゃんの後を追うように・・・逝ってしまいました。

ばーちゃんの死後から2週くらい。

思い返しても、怒涛の一年間です

本当に、大変だったなぁ・・・





この4年くらい、どちらの母にも悔いがのこらないように、


私ができる事は、なんだってやる。


そんな決意をしておりました。

昨年一年間は、その思いを本当に強くして、頑張りました。

時に、あまりの熱心さに家族ともめた事もあるし、

毎日、ほとんど休まず朝晩と病院に通い、看護師さんから「がんばり過ぎ」と

叱られた事もあります。

まあ、本当に何もかも捧げて、今ちょっと色々身体を悪くしてるので

看護師さんの忠告は正しかったのですが・・・

そのため、二人の母にはああすれば良かったなどという、悔いはあまりありません。

母の死後すぐは、葬儀やら、法事やら、相続、片付けやらで忙しく、

悲しんでいる暇はまったく無かったのですが、

年が変わり、今は少し落ち着いて、なんだか寂しいなぁ・・・と思う日が増えてきました。

もう、「お母さん」と呼べる人がいないんですよね・・・

まだまだ片付けも残っているし、残された父と妹の暮らしをなんとかしないといけないし、

やることはいっぱいあるので、泣き言言ってられません。

がんばります。