ドンマックのつらつら日記

離職してからの毎日の生活や愛犬モコ助のことを気楽につらつらと書き綴ってみようと思うオジサンなのであります。

モコ助先生、48歳になる

2021-02-16 23:46:12 | モコ助先生

 本日は我が家のモコ助先生の8回目の誕生日でした。
 いろんな説はありますが、小型犬の8歳は人間で言うと48歳くらいになるそうです。
 あと何年かしたら追いつかれそうですが、おじさん同士慰めあって生きていきたいと思います。

 さて、今日は風は強いけれども晴天だったので、モコ助の大好きな散歩もいつもより長めに行ってまいりました。
 神社ではいつのまにか桜の花も咲いており、いつもの川沿いコースでも菜の花の黄色とピンクの花びらのコントラストがなんとも鮮やかで綺麗でした。

 川では輪になって戯れている水鳥のグループもいれば、静止したまま川面をじっと睨んで昼ご飯を探している鳥や「カラスの行水」をしているカラスなど、春が来たかのようにのんびりと時間が流れていました。

 誕生日のモコ助御飯はいつものドライフードに加え、少し豪華に「まぐろ・かつお、チーズ・緑黄色野菜のトッピング」を乗せてさしあげたので、モコ助先生が「オラオラ早く食べさせんかい」オーラを出しまくりでしたが、マテをさせて何枚も写真を撮ってしまいました。

 リビングに置いてあるマックの遺影には今も犬のぬいぐるみやドッグフード、お花を飾っており、もう旅立って10年になるのに今も私たちの心を癒してくれます。
 さすがのモコ助も未だその域には達していないので、もっと努力してマック兄ちゃんに恥ずかしくないような名犬になってほしいものです。









ドキドキしながらバウムショコラを食べたはなし

2021-02-15 23:00:27 | 日記

 
昨日は全国的にバレンタインデーという記念日だったそうです。

 60過ぎのおじさんも昨年までは職場で義理チョコをいくつかゲットできていたのですが、離職して引き籠っている今年は妻とお嫁さんからのみ貴重なブツを頂きました。

 妻からは1,900円のチョコバームクーヘン?という何だか高級そうなお菓子です。
 なぜ値段が分かるかと言うと、主夫に専念しているオジサンは毎日の家計簿も付けており、先日妻が寝た後にレシートをまとめて入力していたらお馴染みのお菓子屋さんのレシートに「バウムショコラ1,900円」の文字が・・。

 はいどうぞと差し出す妻にそんなことは言えないので、「え~知らなかったあ、いつ買ったのぉ」と照れながら受け取るオジサンなのでした。

 じゃあ食べようかと箱を開ける妻。(結局二人で食べるんだね・・)
 さあ、開けてびっくり。
 おいしそうなことには違いないのですが、トッピングに何やら気になるものがポツポツと・・
 案の定、成分表にヘーゼルナッツの記載がありました。

 そうです、知っている人は皆知っている、このオジサンはナッツアレルギー持ちで、カシューナッツ、マカダミアンナッツ、ヘーゼルナッツという何だかおしゃれなナッツ類を食べると息が苦しくなるほどのアナフィラキシーショックを起こした前科があるのです。

 もう20年以上も前の話でそれ以降は食べていないので、果たして今はどうなのか本当のところはわかりませんが「君子危うきに近寄らず」で大丈夫なはずのアーモンドやクルミの部分だけを慎重に切取り、美味しく頂きました。

 この点について妻に強く抗議をすると、来年から自分で買ってきなさいと言われるのが落ちなので笑顔でご馳走さまでした。





ガラス越しの面会、いつまで・・

2021-02-13 23:37:40 | 新型コロナウイルス感染症


 父の95回目の誕生日だったので2時間のドライブをして両親に会いにいきました。

 二人は今、夫婦で施設に入所しています。
 老後を見ようとしていた長男はあっけなく先立ってしまい、その数年後に次男も悪性リンパ腫と診断され治療を続けています。
 そんな中で足が弱って急に立てなくなった母が施設への入居を希望したことから、夫婦で入ることにしたのです。

 次男もなんとか寛解になり、今は二人の世話や家、お金の管理をしてくれているのに、私自身があまり面会に行っていないので申し訳なく思っています。

 今日はお菓子や飲み物、二人の若い頃の写真を拡大印刷したものなどを持って向かいました。
 施設に着くとまず入口でスタッフに荷物を渡して、外から庭に周りガラスサッシの前で二人が来るのを待ちます。

 車いすに乗せられた母を父が押しながら近づいてくるのが見えました。
 母は私たちの顔を見るなり、すでに顔をくしゃくしゃにして涙顔です。
 父の方は若い頃からずっと剣道をしていたので90を過ぎた今でも足腰は強いのですが、逆にあちこち一人で行こうとするのでよく転び、今日もおでこに先日転んだ時の青あざがうっすらと残っていました。

 ガラス越しの会話はなかなか難しいのですが、中と外で会話できる小型のインターホンを貸してくれていたので、何とか話をすることができました。
 両親にとっては私はいつまでも子供で、自分たちの事より私の病気の事や孫の心配ばかり口にしていました。

 2時間かけて会いにいっても、間近に座って会話もできないし、シワシワになった手をさすってやることも、肩を揉んでやることもできません。
 4月の緊急事態からずっとです。

 今でもどこかの病院や施設でクラスターが発生すれば、必要以上に報道合戦が繰り広げられ、そこのスタッフがどれだけ頑張っていたかどうかは関係なく、これでもかと叩きまくり、国民に「発生(感染)=悪」という印象を植え付けています。

 この異常な状況の中で、施設等で働くスタッフは毎日神経をすり減らしながら出来得る限り最大の防御策を取ってくださっています。

 コロナが始まってもう1年が過ぎますが、大切な命とは別に過剰すぎる反応により失った物も多い気がしてなりません。

水が・・ない

2021-02-11 23:50:00 | 街歩き、ドライブ、旅行
 

今日はお休みだし、スマホの天気予報も晴れると言っているし、折角なので妻がどこかに行きたいと言います。
 そういう時はだいたい自然たっぷりの静かな場所で、マイナスイオンがソヨソヨと降り注ぐような森や渓流なんかに連れていけば間違いないのです。
 今回は南大隅町の雄川の滝にいくことにしました。

 この滝は大河ドラマ「せごどん」のオープニングに登場して一躍有名になり全国から観光に来るようになったそうですが、私たちは県内に住みながらもまだ行ったことがありませんでした。
 なかなか遠いので高速で1時間、後は山道を延々とドライブです。
 Googleナビが違うところを案内したため右往左往しながら、なんとか標識を頼りにやっとこさ駐車場につきました。

 車を出て空を見ると一面が雲で覆われ、雨さえ降ってきそうな感じです。
 晴れのはずでは?と再度、予報を見たらいつの間にかひっそりと「曇り時々雨」マークに変わってました。
 そっと差し替えることなくそのままにしておいて「ごめんなさい、間違えました、ペコリ」と表示する方がまだ好感が持てると思うけどな。
 
 さて、滝までは渓流沿いを20分くらい歩く遊歩道があります。
 狭い道ですがほとんど人とすれ違うことも無く、うっすらと気持ちの良い汗をかきながら歩きます。
 途中でお弁当を食べて、写真を撮りながら、さあ、いよいよ展望台が見えてきました。
 期待にワクワクして階段を登りきると・・
 そこには立派な滝が・・
 ・・え、滝?・・水が落ちてないけど・・?

 日照りが続いた訳でもないけれど、これが普通なのだろうか?
 それとも滝の上で職員さんが水のバルブを開け閉めして水量を調節でもしているんだろうか?(←冗談です 😅

 と言うことで、天気は今ひとつで、テレビのような雄大な滝もみることはできませんでしたが、清らかな水の流れと木々に囲まれた遊歩道を散策しながらのひと時はしっかりと心を癒してくれたことでした。
(いちばん下の写真が普通?の状態 (鹿児島県))





 み、みずが落ちてこない??

 鹿児島県の観光サイトから


ただ走れる、ただ山に登れることの幸せ

2021-02-09 23:14:59 | 日記
   

 今日の新聞に恒例の鹿児島県下一周駅伝のコースとチーム編成が掲載されていました。
 今年も息子が選手としてエントリーされていましたが、すでに34歳のベテランで残念ながらピークは過ぎており今回は実際の出番はないだろうと言ってました。
 でも社会人になってからすぐに地区代表の選手に選ばれ、自身も女子駅伝の元ランナーであるお嫁さんの理解と十分なサポートのおかげもあり13回も連続出場できたことは我が子ながら褒めてあげたいと思います。

 親である私も何回かフルマラソンに挑戦し、その度にゴール地点で座り込んで「もうコリゴリだ・・」と天を仰ぐのですが、しばらくすると来年はもっと良いタイムで走れるのではないかと思い始め、またジョギングを始めるという繰り返しでした。いい意味で中毒性があるんですよね。

 特に定年の年に若い同僚たちと走った明治維新150周年記念の鹿児島マラソンは最高の思い出となり、みんなでゴールした後に「来年も一緒に走りましょうね」と言ってくれたのに、奇しくも翌年の練習中に咳が長引いたことでクリニックを受診し間質性肺炎が発覚したのでした。

 退院後は筋力も落ちて歩くことさえままならなかったのですが、毎日の散歩を続けるうちに小走りでモコ助を追いかけられるようになりました。
 このまま順調ならばまたいつか走れるのではないかとあまいことを考えてはいます。
(走るどころか数年先の命も分からないという難病であるのに)

 ただ、あれもできない、これもやってはいけないと家に籠る消極的な生き方で徐々に衰えていくよりは、あれもやってみよう、これもできるかもと日々積極的に毎日を過ごした方が最後の時に悔いが残らないと思うのです。

 最近は誰もがコロナや経済や自分の病気のことなどで心配は尽きませんが、「心配」というのはまだ起こってもいない未来への漠然とした恐れに過ぎないし、今の時点でそのことをいくら悩んでも解決できるものではありません。

 わからない未来のことに対して恐れるより、しっかりと今に目を向けて自分が選んだ道を一歩づつ歩いていきたい。
 先ずは春になったら久しく行っていない山登りに二人で行ってみようかなと思う今日この頃です。