


あらすじ(文庫本背表紙より)
結婚して十年。夫婦関係はとうに冷めていた。夫の浮気に気づいても理津子は超然としていられるはずだった(「妻の超然」)。九州男児なのに下戸の僕は、NPO活動を強要する酒好きの彼女に罵倒される(「下戸の超然」)。腫瘍手術を控えた女性作家の胸をよぎる自らの来歴。「文学の終焉」を予兆する凶悪な問題作(「作家の超然」)。三つの都市を舞台に「超然」とは何かを問う傑作中編集。



次はこの本を読もうと思ってなぜかあまり読む気になれず、のばしのばしになってしまっていました。超然という文字がとっつきにくかったのかもしれません。読み始めると、なかなか面白かったです。
「妻の超然」そもそもこの妻・理津子は自分のことを超然としていると言っていますが、私には超然としているようには全く思えません。でもその思い込みが超然と言うなら超然かも。理津子の夫に対する負の思いがつづられていて、最後の最後に夫が言った一言が理津子を大笑いさせます。なんかかわいらしい夫婦でした。
「下戸の超然」下戸とは私と真逆。でもその下戸の心情がすんなり私の心に入ってきました。彼女ができてよかったなと思っていたら、最後にはその彼女に「そうやっていつまでも超然としてればいいよ。」とキレられます。酔った彼女が、いつもまっとうなことばかり言う下戸の彼を超然という言葉で表現するとはびっくりのような、ぴったりのような。どちらの心情もわかる気がしました。
「作家の超然」変わった文章でした。読みにくかったけど、作家ってやっぱり普通の人とは違うと面白く思いました。解説によると「きわめてフィクショナルな私小説」ということです。文学は滅亡するだろうと言いながら、なおその後の希望を待っている作家。とても私には及びもつかない考え方だと思いました。