前述の通り東武57型は東武としての戦後初の特急専用車として誕生し、当時としては新技術であった平行カルダン駆動でした。しかしあまりにも先進技術のため保守しきれず釣り掛け駆動に逆改造さるという逸話も残っています。
特急専用車としては、これも昭和の名車として名高い1700系DRC登場はその任を譲り、その後は快速急行用に充当されて、晩年は12両全車が健在のまま波動輸送用として永年活躍していました。
晩年になって東武57型がどうして人気が出たかと言うと、釣り掛け駆動での最後の優等車両であったということです。通勤電車でも釣り掛け車両珍しくなっていた当時での釣り掛け駆動の優等車両は撮るにも乗るにも魅力的な存在でした。実際に乗ってみると東武動物公園以北では100キロ近いスピードで飛ばし、その走行音は高いは金属音で音鉄ではない私でも酔いしれてしまう程でした。
私にとって東武57型は20歳代に一番燃えた被写体であり、できれば東武博物館では慣れ親しんだ現役末期の姿で東武57型を保存してもらいたいと思う次第です。

約10年弱続く東武57型との付き合いの最初がこの日でした。午前中は黒田原でED71や特急電車を撮った後に東武線に転戦してこの写真を撮りました。この当時は東北道は岩槻までで、そこから都内まで入るのが一苦労でした。今は多少渋滞しても30分くらいで都内へ入れますが、当時は岩槻から都内のまで2時間くらい掛かることも良くありました。 82,09,05 東武板荷 2096レ(臨時快速急行「だいや」)

独特の東武浅草駅に入線する団体臨時列車。通常は団臨の客扱区間は”たびじ”のヘッドマークを取り付ける事になってはいたものの、付かないで運転される事もままありました。 89,01,27 東武浅草 5150レ

東武57型は波動輸送用であったため日光線の多客臨の他に団臨にも充当され東武佐野線や東武野田線など臨時列車と無縁と思われる線区にも入線して楽しませてくれました。特に1月の初詣臨や修学旅行臨等はほぼ毎日運転されていました。 90,04,06 東武佐野線田沼 5541