この時代の1月と言えば成田臨に高尾臨さらには鎌倉臨と撮影に忙しい時期だったことが本当に懐かしく思えます。まさかこれらの初詣臨が大幅に削減された上にかろうじて残った列車もEC化されるなんて30年前には誰も予想出来なかった事だと思います。
年末に成田・高尾・鎌倉初詣臨と言うお題目の局報(運転報)が配布されると食い入るように調べて事を思い出します。まずは八高線高尾臨の運転日、次に新宿経由の高尾臨、更には水郡線から来る成田臨の運転日、そして静岡からやって来る成田臨が浜松のゴハチなのか、東京のゴハチで担当するのか等、客車運用を基本に調べ、機関車運用と更には運転時刻を抜粋したのがついこの間のような気がします。膨大な量でしたので、許可をもらって自宅に持ち帰り徹夜で調べた事もありました。本業の助役が見る前に私がチェックを入れるので、明らかな誤植などは赤鉛筆で印をつけておくので、抜粋担当の助役にも重宝がられたものでした。
撮影しているすぐ後ろに中央道が通っています。前年までは柵がなく、もうチョッと引きがとれて撮影が出来ました。武蔵野の面影を残す雑木林も今はどれくらい残っているのでしょうか? 81,01,10 北八王子 9222レ
この日は東京駅から中央線各駅停車で立川まで行って、青梅線-拝島ルートで小宮に辿り着いたと記憶していますが、とても寒い日で東京から乗った101系の隙間っ風に閉口し、誰も乗っていない車内ではシートをずらして座席下のヒーターに直接手をかざして暖をとったことを鮮明に覚えています。
今ならなぜ、そんなに寒い日なのに車で出撃ないか疑問に思われる方も多いと思いますが、この頃はまだ八王子バイパスが開通する前でしたので国道16号(現在の旧道)は物流が少ない1月といえども終日混雑していて、とても車で出掛け様なんて思いもしたい時代でした。国鉄がなくなる6年前の1月の思い出です。
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