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10年前の06月 番外編 戸塚駅前旭町商店街の終焉


 戸塚駅西口を降りて旭町通に入る端にこんなバリケードが出来て異様な様相を呈していました。今振り返ると原発事故で帰宅困難地域となった街並みに見えてしまいます。    07,06,01  05:01頃

 最寄駅となる戸塚駅西口周辺は10年前まで戦後の残すまさに昭和と言える素晴らしい商店街がありました。それぞれ歴史のある商店が建ち並びほんの400メートルくらい歩けばほぼ目的の商品が購入できるくらいの便利な商店街でした。そして商店街を抜けると戸塚バスセンターがあり網の目の様に張り巡らされたバス路線が駅から離れた住宅地と駅とを結んでいました。このためこの商店街の人があふれまさに活気のある商店街でした。近くには日立やブリヂストンの大工場が控え、工場労働者も多く戸塚駅を乗降したことからピンサロをはじめピンク映画館やストリップ劇場まであった時代もありました。
 ただ、無秩序に建設された商店街は防災の観点からはとても褒められた環境ではありませんでした。細くてとても消防車など入り込めない道があり消火栓も少なく火災などが起きた場合、消火活動がままならない事は誰の目にも明らかでした。そしてその懸念が現実となる事件がありました。それが昭和末期の商店街中心での火災でした。噂では店舗内の火の不始末で火災が起きたとされています。火災が起きても消防車を横付けするとこが出来ず少し離れた国道から延長ホースをつないで消火にあたったそうで、その火災が起きてからはこの商店街の防災不備による将来的懸念から建替えの話が本格的になりました。いろいろ討論されたとは言う事ですが(かなりの反対運動があったようです)結局は風情のない駅前集合ビル建設案に落ち着いてしまいました。
 あれから10年。完成された駅前集合ビル(トツカーナ)の姿も違和感なく受け入れる様になりましたが、ほんの10年前はこんな素晴らしい商店街が地元にあったんだ!と感慨深く当時の写真を眺めてしまいます。

【当時のブログ】
http://white.ap.teacup.com/dt200a/260.html#comment


 閉鎖後の旭町通の中心の姿です。いつもは多くの人が歩いていた通りが無人となるこの光景は異常としか言いようありませんでした。柏尾側の堤防が貧弱だった時代には大雨が降る度にここは水没していました。普段歩いてる通りをボートで人を運んでいる光景に驚いた事を思い出します。    07,06,06  10:45頃  コンデジで撮影

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