この雰囲気は上田交通別所温泉駅に似ています。海南駅自体が静かな駅だったと記憶しています。 92,11,15 野上電鉄日方駅 TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
野上電気鉄道は、和歌山市南にある紀勢線海南駅の裏手から出て日方(ひかた)~登山口 11.4kmを結ぶ地味な鉄道でした。地味な鉄道割りに最初から電化されていた私鉄の様です。大正時代の電化開業との事ですから紀勢線のC57やDF50の時代から電車運転されていたことになります。
昭和40年代後半になり中小私鉄が共倒れしていく中ご多分に漏れず野上電鉄も71年(昭和46年)に廃止の申請を国に申請したもののちょうど第一次オイルショックの時期と重なり公共交通機関が見直された時代であったこと、また沿線の道路が未整備で代替バスの運行が困難であると言う理由で運輸省(現:国交省)が廃止申請を認めず、代わりに補助金増額が認められが75年には廃止申請を撤回した経緯があります。しかしこの鉄道会社は補助金頼みのずさん経営で企業としての自助努力を怠り、一度は申請をし、撤回したにもかかわらず94(平成6)年に全線廃止となりました。
この20年、多くの地方鉄道が廃止のされましたが経営母体である会社自体はバスやタクシー事業やその他の副業(南部縦貫鉄道は給食までやっていました)にシフトさせ、そのほとんどが会社を存続させ雇用を確保しています。また公共性の高い事業ですから地域住民の足の確保と言う観点からバス事業を拡充して代替輸送を確保したりしています。廃止に伴う代替輸送もほとんどなされないまま公共性の高い鉄道会社そのものが消滅してしまったという野上電鉄意外思い当たりません。
国鉄(JR)からの乗換はこの日方駅から200メートルくらい離れた連絡口駅となります。ただ、乗換客で時間的に余裕のある人は日方駅まで歩いてきて車内で発車を待っていました。 92,11,15 野上電鉄日方駅 TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
廃止された鉄道はどれも寂しさを抱えながら消えていくものですが、この野上電鉄は少し異色でした。廃止(会社消滅)を控え野上電気鉄道の会社の雰囲気は極めて悪く、末期はさら酷くなり、これで本当に安全な輸送が出来るのか?と思うくらい職場が荒廃していました。
通常鉄道が廃止されるといろいろ小さな問題はあるでしょうが鉄道労働者の雇用確保のために関連事業に(主に代替バス)再雇用されます。しかし野上電鉄は会社離散と言うあってはならない状況を向かえ。鉄道労働者の再雇用は保証されないと言う最悪の運命を辿る事になってしまったのです。会社離散後の労働者の再雇用が保証されないという理不尽な事態に悲観的なムードが鉄道労働者に漂っていました。そしてその不安の腹いせが鉄ちゃんに向けられたのです。廃止の噂を聞きつけてやってくる鉄チャンの姿は、目障りの存在でしか映っていなかったのかもしれません。沿線でカメラを構えていると運転士は警笛を連打して、通りすがりに睨みつけて行き、不快感を現します。駅構内では至る所に「構内、車内での写真撮影禁止」の張り紙や立て札があり、有人駅ではホームからの撮影すら許可されず、もし撮影したものなら”馬鹿ヤロー!!”と駅員に怒鳴られたものでした。またタブレット交換の光景を撮影していたら発車時刻お構いなしに突然運転士が運転台から降りてきて、”今撮ったフイルムを出せ!”と言って襲い掛かり、カメラを奪って裏蓋を開けようとしたのには怒りさえ感じました。ただこの腹いせが鉄ちゃんだけならまだ百歩譲って許したとしても、一般の乗客にも向けられる暴言にはビックリすると言うより呆れるとしか言い様がありませんでした。そのため鉄道友の会もこの野上鉄道には見切りをつけて鉄道友の会主催のサヨナラセレモニーは見送ったと言う話を聞いた事があります。
この野上電鉄の労働者のチンピラの様な態度と国鉄末期の国鉄職員の接客態度とを比較する人がいますがそれは全く的外れな見識です。国鉄末期の国鉄職員は職場での人間関係に不信感を肌で感じ、不採用通知を受け取ってはどんなに将来に不安を持っても仕事を疎かにしたりはしなかったし、乗客に対して不親切な事をしたり、さらにこともあろうか暴言を吐くような行為は一切ありませんでした。
野上電鉄の鉄道労働者のチンピラもどきの態度は、野上電鉄の最後のイメージをどれだけ悪くしたのは計り知れないと思います。
運転士が出てくる前にもう1枚と撮った写真です。日本でスリルを味わいながら撮影したのはこの野上電鉄だけです。 92,11,15 野上電鉄日方駅バルブ TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
この訪問の際は天気が悪かったので夕方に訪れて夜楽(よるたの…バルブ撮影)だけをしています…と言うのも始発駅の日方駅は白熱灯で雰囲気がよく夜楽にはうってつけの場所であったからです。また夜は撮影している事がわかりにくく、鉄道労働者に追いかけられにくいからでした。最初は道路から撮影してたのですが運転士も車掌も発車時刻の寸前まで休憩室にいることがわかると物音を立てないようにしてホームに入って撮影する事が出来ました。
鉄道労働者は最悪でしたが車両は1両、1両魅力ある電車でした。この鉄道も関西(吹田)に半年、寮生活をしていた時代にDF50ついでに半日でも訪れていればと悔いが残る鉄道です。
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