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この光景は10年経っても変わらずに残っています。C57だと下り勾配なので煙の期待できない撮影地ですがDD51では煙はそれほど関係ないので良く撮影した所です。 01,04,28 喜多方-山都 5291レ スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
今回の大震災で寸断された東北線に代わって燃料輸送をしている磐越西線ですが10年前は広田及び塩川のセメント輸送のために定期貨物列車が運転されていました。当初は2往復が設定されていましたが、そのうち1往復は早朝深夜の運転で撮影出来る列車は1往復のみでした。その後1往復で残した貨物列車ですが上り列車は山都の側線に5時代に入って6時頃に発車し広田に向かうスジでした。そのため陽の長い季節なら山都以東は比較的容易に撮影出来ました。しかし晩年は時刻が繰り上がり、山都を5時代に通過する撮影となり、とても撮影しづらい設定なってしまいました。また、撮影しづらいと言えば時刻設定と共に霧にも悩まされました。今もそうですが、会津は霧が多々発生します。特に磐越西線沿線は阿賀野川沿いに走るために霧の濃さも半端ではなく、気温が上昇して霧が晴れるのは昼前と言う事も珍しくなく、せっかく撮影に来たのに霧のために何も見えず、貨物列車の音だけを聞いて退散した事も2度や3度ではありませんでした。そのため撮影はもっぱら下り列車がメインでした…とは言っても下り貨物列車は陽の長い時期でも日没との競争みたいに走る列車でそれなりに撮影地選定に苦労させられました。さらにこの下り列車を撮影してから帰路につくと自宅到着が深夜になってしまい、どんなに納得いく写真が撮れても、体力的には辛く、翌日が勤務の日は身体に堪えた事を思い出します。
また一応は平日運転になっているものの、ウヤになる日も多く、待てど暮らせど列車の姿を見ることなく帰った事もありました。
それだけ難易度が高い列車だけに納得の行く撮影が出来た時の喜びもひとしおでした。
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この日の編成は通称:広田3車・塩川7車の見ごたえのある編成で興奮したのを思い出します。 01,04,28 山都-荻野 5291レ スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
ところで現在、災害復興に向けた燃料迂回輸送をしている磐越西線ですが昨日(7日)の23:32頃に発生した宮城県沖を震源とした大きな余震で同線は8日は終日郡山-会津若松間で運転見合わせるとの情報が入ってきてあります。折角、被災地の燃料供給が安定してきた矢先の昨日の余震で、また燃料不足=社会不安とならないか心配になります。鉄道ですので安全が大前提ではありますが、今回の燃料輸送は社会的反響(裏返せば期待度)が大きい迂回輸送ですので、不通区間の復旧が早期に終了し、燃料輸送の再開を願っております。