列車待ちしている乗客が入るので結構お気に入りで何度か通った綱島駅ホームを望む跨線橋です。調子に乗って一度バルブも試してみましたがホーム上が意外と暗く、逆に8039Fのシールドビームが明る過ぎて絵になりませんでした。この駅も渋谷駅地下化かに伴う10両編成対応でホームの趣も変わってしまいました。 07,06,06 東急・東横線 8039F 綱島
青山勤務の営業時代は東横線を利用して通勤していました。新横浜から青山に転勤当初は東海道線ー新橋ー銀座線ー外苑前下車で通勤していましたが通勤費削減のためと会社側が強制的に横浜-東横線―渋谷―銀座線の経路に変更させられました。本人の承諾もなく突然、経路変更してくることろが弊社らしい暴挙で〝バカ言ってんじゃない、生活の環境を一変させる通勤経路の変更を一方的に変更するのは生活権の侵害だぁ!〝と強く抗議したものの組合も親身に対応してくれず職権で変更されてしまいました。ただ根が鉄ちゃんですから通勤に使ってみると利用線区が一つ増え、特に東急電車の事ですからいつしか東横線の諸事情も詳しくなってしました。
その頃、東横線は地上桜木町駅時代から地下化される過渡期でした。特に印象深かったのは生粋の東急電車である8000系が最後の活躍をしている時代で多形式の電車に乗れてそれはそれで楽しい時代でした。ただこの時期は新宿・湘南ラインが開業し目に見えて客を奪われた危機感から特急を新設をしたものの、新形式に合わせたスビート―アップの煽りを受けて旧型に部類する8000系ではそのスジに乗れず特急に8000系が充当されるとどうしても遅れ気味になった記憶があります。
私にとって東急8000系は5000系に続く東急にとつてのエポックメイキングとなった形式としてとらえています。8000系デビュー当時、池上線を毎日見ていた幼少期であり時折眺める東横線ではピカピカの20メートル車である8000系に憧れをもった記憶があります。期せずしての東横線通勤はたまに乗り合わせる8000系に心ときめいて屈辱的に通勤経路を変更された割には東横線通勤はなかなか心地よく利用したのもでした。
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