正直、期待はしていましたが実際に”つばさ”のヘッドマークを出してやって来たのにはぶったまげました。これが回送のマークだと単なる記録写真になってしまいます。 76,03,28 西日暮里 9113デ
今から40年前、昭和で言うと51年の事です。当時、キハ181系運転だった”つばさ”が74年11月の奥羽南線電化により電車運転化されることになりました。しかし、逼迫した予算の関係で電化同時とともに新車投入が出来ずに一時は北海道からやって来たクハ4851500代を先頭に主に200番台で組成された既存の485系で運転を開始しました。その翌年の76年に待望の新製485系1000番代が完成し秋田運転所に配置されました。
この写真はその新製されたばかりの485系1000番台が現車訓練のために下十条(東十条)電車区に貸し出しされその返却で京浜東北線の線路を走った時の写真です。もともと下十条電車区は京浜東北線の電車区と思われがちですが確かに電車は103系しか配置されていませんでしたが運転士は当時、多くの東北線特急を担当していました。そのため485系1000番代が新製搬入するにあたって運転士と検修の訓練用に貸出しを受けた様です。
今だったら西日暮里のホーム端はとんでもないパニックになっていたでしょうがこの当時は上野と池袋の高校生が数人いただけだと記憶しています。まぁ~とにかく平和な時代でした。
東十条から上野まで京浜東北線を走った485系1000番代は上野駅では東北線とつながっている5番線に進入しました。今はどうなっているかは知りませんが、当時は京浜東北線から高架5番線に進入可能になっていました。このルートがあったこそ京浜東北線ら485系が走れたわけです。写真は5番線で可搬式のATB-B型の撤去を行っている姿です。 76,03,28 上野 9113デ
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