イベント機関車という特異な使用形態のため私はEF55の走行写真の撮影はほとんどありませんでした。私にとっては数少ない写真を探したら復活直後に大宮工場の撮影会で撮影していました。 86,03,30 大宮工場
いろいろな遍歴を持ちながら国鉄解体直前に奇跡の復活をどげ、その後高崎機関区(後の運転所)をねぐらとしてイベント用機関車として活躍していたEF55が来春に二度目の引退を迎えようとしています。
このEF55の引退をもって国鉄旧型電気機関車の本線上での終焉を迎える事になります。ついこないだまで東の61号機・西の150号機と両横綱がいたのに、61号機は昨夏に大井工場(東京総合車両センター)に送り込まれ、150号機の車籍はあるものの実質引退となり、JR線上での国鉄旧型電気機関車はEF55だけとなっていました。このEF55も久しく動くことなく、引退運転を前にして大宮工場へ入場ところを見ると車両コンディションは最悪と言える状況にあったに違いありません。
EF55についてはいろいろな文献やブログで説かれているのでここでは省略いたしますが、昭和初期の電気機関車がこの平成の時代まで稼動する状態で残っていたこと自体が奇跡と言う現実はあります。しかしながら動力形態では費用も手間もかかる蒸気機関車がこの日本に10両弱稼動しているのに対して、基本的には最新の機関車と動力形態はなんら変わりのない旧型電気機関車がここ数年で激減しそして消滅して行こうとしている現実に私は疑問を感じずにはいられません。
その要因はいろいあげられますが、ひとつはJRのお役所体質だと思われます。蒸気機関車は本社予算でその機関車のためにたっぷりと予算が付いて贅沢に金が使えるのに対して、旧型電気機関車は実質動態保存とい言う形であるものの、他の機関車と同じ扱いで車両修繕費という中で予算が降りる為に帰って金食い虫扱いされ、強いては邪魔者になっています。さらに乗務員は蒸気機関車であれば特別な講義を受け、特別扱いで処遇されるのに対して、旧型電気機関車は現行の機関車乗務員とは特別扱いされず手動ノッチ進段が出来る乗務員がどんどん退職していき、年々乗務出来る人が少なくなっているのが最大の要因だと思われます。
一方検修サイドに眼を向ければ日常の検査にはある程度対応できるものの重要部品に不具合が出ると完全にお手上げ状態となってしまいます。更に2年に一度の台車検査や4年に一度の全般検査では工場での技術者が少なくなっているのも事実だと思います。さらに一番の致命傷は蒸気機関車であれば、それなりの知識者が居る大宮工場で時間をかけて検査できるのに対して。予算の出元が他の電気機関車と同じということで旧型電気機関車も土崎工場(秋田総合車両センター)へ入場し、乏しい技術力で検査している事だと思われます。これも旧型機関車のために本社予算をつければ大宮工場でゆっくり検査出来るのに…
要は今回のEF55の引退はJRの効率化のしわ寄せが生んだと言って過言ではないと思います。もし各JRに鉄道文化財としての価値をご理解いただける幹部が居たとしたらこんな悲惨な状況を生むことはなかったと思います。ロクイチもイゴマルもパックも、そしてゴンゴもJRの無策ともいえる効率化犠牲になったわけです。
以前にもこのブログで書いたことがありますが、鉄道事業者の最大の使命は安全・安定輸送です。そしてそれが成し遂げられて次に求められるのが鉄道は人や貨物を運ぶと共に夢を運ぶということです。その夢はひとり旅の夢でもあり、子供が鉄道を見てあこがれる夢でもあります。また我々鉄ちゃんが仕事の合間にふと頭をよぎる夢でもあると思います。その夢を鉄道という枠でかなえられることが出来て真の鉄道事業者であると私は思っています。
EF55の第二の引退のニュースに接し、新ためてネガのストックを探しました。しかしイベント運転にはあまり参加しない私ですのでEF55の走行写真が見当たりませんでした。ですので今回の引退運転はぜひとも撮影に行きたいと思っております。
(編集長敬白を参照していただくと経歴が良くわかります。)http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2008/11/55_2.html
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