E表現研究所の「Eから始まる」

E表現研究所所員の、E生活やE活動を自由に語り合うサロンです。

テーマ「照らす」

2010-01-12 22:12:55 | エッセイ

言葉さがし

 

今年も所属するグループ「E表現研究所」の冬のパーティがあった。子育て支援を自分のできることで表現していこうと活動をして九年目。子育てと自分育てをモットーにして無我夢中で時間が過ぎ、気がつくとメンバーは入れ替わり、子どもは大きくなって、自分を取り巻く環境も変化していった。

T所長とパーティの企画を話し合っているときだった。

「テーマ何にする?」

絵本を中心にしている私たちにとって、アンデルセンやグリムなどの童話を題材にすることが多く、これまでのテーマは「マッチ売りの少女」や「雪女」だった。

「みにくいアヒルの子がいいかな」

今はみじめでも、きっと白鳥のように飛び立てる日がいつか来るという思いが浮かんだ。

「それいいね」

みんな力を貯めつつ活かすときを待っている。自分にできることをみつけて、一歩前に出ようというメッセージを込めて、所長もそれがいいと賛成してくれた。テーマのあとはプレゼントを何にするかに話が移っていく。

「言葉にしない?」

私たちのグループは主婦の集まり。できるだけお金をかけないのがポリシーでもある。そのアイデアに思わず手をたたいた。「言葉」が大好きな私にはこんな素敵なプレゼントはない。パーティ当日に用意するものは、自分の好きな言葉、子どものころのみすぼらしい思い出、これからどんな白鳥になりたいか、一つ白いものを身に着けるの四つ。
 それから言葉さがしが始まった。テレビドラマを観ながら、気になったセリフをスケッチブックに書いていく。ファッションの仕事を題材にしたドラマでは

「どこで生きるか、誰と生きるか、未来は自分で決めるもの」

うん、いい。迷っている主人公に上司が背中を押すために言ったのだ。私も未来を自分で決めたいけれど、今はまだワガママとしか言われないようなこと・・・・・・。

医療現場を扱ったドラマでは、

「人は幸せになるために生きている」

「生まれてくることと死ぬことは似ている」

「生きていることはただそれだけで尊い」

さすが立派なお言葉だ。人の生死がテーマで、心にまっすぐに届くメッセージが多い。描かれる人間模様が胸に迫ってくる。当たり前のようで、とても大切な意味がある。でも私にはそれを伝える資格がないように思えた。ドラマで伝えていることを口にできるだけの経験や人間としての資質が足りない気がする。

そうこうしているうちに、もがいている自分に気がついた。大切にしている言葉ってなんだっけ。考えるのが好きなのに、いざそれを考えると何も出てこないなんて。

「自分自身が時代に流されずコツコツとやっていくこと」

またドラマを観ているときだった。江戸時代にタイムスリップした主人公が、医者としての腕をどう活かそうかと悩んでいる場面だ。そうか。パッとしないけれど、何ができるんだろうと模索し続けた日々は決して無駄ではないはず。地道な努力を続けていていいんだ。いつのまにか、子育てと自分育てを必死に生きてきた人生と重ねていた。これでいいのかと迷う日々、それが少しも変えられなくてもどかしかった。そんな自分はやっぱり「みにくいアヒルの子」だ。

でも、つまづいたその時々で、勇気づけてくれる「言葉」や「歌」がたくさんあったのを思い出した。読んだ本の中に、映画の中に、頭に浮かんだフレーズの中に。心の闇に射す光のようにスッと入ってきて、全身の力が抜けて楽になれた。気がつくとくちずさんでいた歌で力が湧いた。私が一つに決められないのは、その時々で変わっていたからなのだ。私は、それを誰かに優しく伝えられる発信者になりたい。

本棚の中に、親友が送ってくれた一冊の本を見つけた。彼女も悩んだとき勇気付けられたのだと言っていた。この『たった一日の勇気』は、たった一日だけ頑張ろう、毎朝そう思ったら、きっとくじけずに日々を過ごしていける。そう伝えていた。そんなに頑張らなくてもいいと今は思うけど、子どものためにどうしても踏ん張らなければならなかった私にとって、それは光のように進む道を照らしてくれた。

冬のパーティでは、クリスマスツリーに飾るための白い羽のオーナメントを胸につけ、「たった一日の勇気」をプレゼントにした。


赤ちゃん大学

2009-12-03 09:03:18 | エッセイ

この名づけ親は、所長でしょうか?かわいくて目をひきつけ、興味をもそそられる。内容を知りたくなる、ワクワクした名前ですよね。
その講師の一人に加わり、子育て中のママと触れ合えた事はとても刺激になりました。
シュタイナー教育と出合い、日々素晴らしさ奥の深さを感じていても、発信する事はあまり無くておりますので・・・・・・。
現場で、1人1人のママの叫びは、私も対面した事のある悩みでした。そんなママたちに、心から“大丈夫!!”のひと言が言える自分に成長している事が又、喜ばしく思えました。
これからも、社会の中で輝ける自分でありたいと「赤ちゃん大学」講師をさせて頂いて思った私でした。

                  (R.S)


子育てを振り返って

2009-11-29 21:17:40 | エッセイ

山での生活は町では考えられないくらい自然との共存の毎日。不便さの中に人間の知恵が活かされ身体を使って“生きている”ことを感じさせてくれる。

静かに流れる時間がとても心地よくて・・・。人との会話は家族だけということも珍しくない。そんな暮らしが8カ月ほど経とうとしていた頃、久々にE表現の活動に参加することになった。

「赤ちゃん大学」で久々に会ったたくさんの子どもたちやお母さんたちでにぎわう会場で、いつもの環境とのギャップに、自分の身体と頭がうまくかみ合わず少し戸惑いを感じていた。まるでアフリカのサンコンさんみたいな気分!(←古い?)

 皆さんの前で話をすることになっていたので、当日までに自分の子育てを振り返ることになったけど、はっきり言って余裕のないお母さんだった。こだわりが多くて、それに自分が囚われ苦しかった。でもそこに一つの信念もあり、家族に迷惑をかけながらもこだわり続けさせてもらえた。

それから子どもにはたくさん話しかけた。実家の母に「うるさいんじゃない?」って言われたこともある。

そして何より私の心に子育ての充実感として残っていることは、“子どもとたくさん遊んだこと!!!”

私の足の裏は小さい子どもの身体を持ち上げ、飛行機にしてあげたり、私の脚は滑り台になったり・・・狭い6畳の部屋は野球場になったり、鬼ごっこ・かくれんぼの遊び場に、踊りの舞台に、発表会の会場にと変化した。

毎日毎日子どものために生きていたような気がする。そのことにときどきストレスも感じて爆発したこともたびたび。それでも子どもの寝言はいつも「おかあさん」だった。

私が今生で一番したかったことは“子育て”だったし、私は“お母さんになりたかったから、子どもを育てられたことは私の喜びだった。

わが子はもう12歳になり不便な暮らしのおかげで私を助けてくれることが多くなった。「子育て」というよりも今は「家族として支え合う関係」。

赤ちゃん大学で出会ったお母さんたちを見ていると、しばらくは大変だけど、「とても大切な時間だから頑張ってほしい」と思わずにはいられない。子育てはすごい仕事だとわかってほしい・・・。

訳のわからない怪物を育てるのでなく、「知性ある尊い生命を育むこと」だから。

私は、子どもは一人しか育てられなかったけど、今年は子ヤギの「子育て」に挑戦した。わが子と同じような感覚で育ててしまったような気がする。この頃はもう大人になりつつあるので「家族として支え合う関係」かな?

子どももヤギも私にとってかけがえのない存在。あっ!夫のこと忘れていた

K・T


赤ちゃん大学のキッカケ

2009-11-24 21:48:46 | エッセイ

「赤ちゃん大学」の講座をしたいと考えたキッカケは、最近の現場からだった。子育て中の母親の相談が、このままほって置けないと、察したからだ。

多くの母親がマンションの個室に母子家庭状態で、些細なことが原因で、ストレス溜まって、怒鳴っている自分に悩んでいた。

子どもが自分の思い通りに動かないことで、少々パニクッて、虐待をしてしまう若い母親にたびたび遭遇した。

それも、子どものような若い母親は遊べない不満からだったが、高学歴の母親にも仕事を諦め、キャリアを捨てて子育てしているガマンの不満から、子どもに当たり始めたら止まらなくなる事がたびたび見受けられた。

しかも、個室での出来事で、振り上げた手を止める人もいない。気をつかう同居人もいない。

ある時、我に返ってびっくりして抱きしめるが、もうしてしまったことは消せない。子どもの心に傷をつけてしまう。そんな自分に反省し涙を流す事例があったからだった。

また、昔そんな母親に育てられて大きくなった娘が、親に感謝すらせず、今では娘が産んだ孫を親に抱かせてやりたくもないと、親の協力を望みもしない事例に何度か遭遇したことがあった。

悲しい。

前者の傷ついた子どもは大きくなって嫌いな親の世話をしたくないというし、嫌いだった親は子供より自分やその時の事情や情事が第一で、おかしな家族関係になっていたりしたことが多い。

介護のプロからもよく聞く事例だった。

親子が仲良しではないのだ。

どうしたら、仲良くなって介護をしたいと思えるのだろうか?

介護を他人に任せていく風潮が・・・。

変・変・おかしいと感じなければこの日本は崩壊してしまうような気がする。同時に、気軽に保育所やお手伝いさんを使える社会になれば、母親の気が楽になるかも・・・と、私の心は揺れる。

「赤ちゃん大学」で学校に通った雰囲気で仲間と時間を共有し、

「赤ちゃん大学」で我が子を愛おしいと感じ、

「赤ちゃん大学」で子どもを慈しみの目で見て、

子どもの成長に驚き、初心に戻って赤ちゃんの仕草から見習って「自分磨き」を始めることが大事と思った。

幼児への早期教育はあまり効果は薄いだろう。

幼児に詰め込んで学ばせるのではなく、反対に

母親が赤ちゃんから学ぶ姿勢が必要だと思い、

「新しい自分発見」にぴったりだと考えたからだった。

人間は雑多な育児書の漢字(かんじ)で考える前に、赤ちゃんから感じ(かんじ)なければいけないと思った。

果たして、今頃受講者たちはどんな生活をしているのだろうか?

親子仲良く過ごしているのだろうか?

寒さを乗り切ってくれているだろうか?

心から幸せを願っている。

TTT


お菓子の家??

2009-11-16 14:57:23 | エッセイ
 あま~~いチョコレートの屋根。ピンクやブルーのキャンディは窓枠。とびっきりふわふわのカステラのじゅうたんにこんがり焼けたバタークッキーの壁。

 こんなおうちがあったら!絶対!しあわせの最上級!

 そう思って、娘に言ってみた。そしたら……。
「え~~??無理!!だって私、チョコもキャンディもカステラもクッキーも食べられないもん!」
 そうだ!うちの子、好みが渋いんだった。お菓子は基本自家製手作りしかダメだし。お菓子よりお寿司か?ということは、お菓子の家より、お寿司の家!思いっきり和風ですね。屋根には金のしゃちほこよろしく伊勢えび?窓はいか?屋根にはイクラをちりばめて、マグロのお刺身のじゅうたんで……。

「夢がないなあ」って笑うと、「確かにロマンチックではないけれど、それがウチっぽいんだからいいんじゃない?」って。

 そうだよね。みんなの理想のお菓子の家、違ったっていいんだ。お寿司の家はちょっと突飛だけど、おせんべいだって、ペロペロキャンディだって好きなものを好きなようにアレンジして、それが自分流ならそれでいい。

 人と違う感じ方、育ち方を選んでもう三年がすぎようとしている娘の蛍。いや、選ばずを得なかったんだけれど。でも、彼女の歩みを見守るしか私には出来ない。でも、彼女はきっと、人が理想としない自分だけの理想を見つけてくれるだろう。お菓子の家がお寿司の家になっちゃうように。


。。。かなり、久しぶりに書いたので、何だかまとまりなし!です。でも、書いている間に色んな発見できますよ?

                        イニシャルが苦手な侑

エッセイ「抱き続けた思い」

2009-11-02 14:43:20 | エッセイ

数年前、年間計画のプレゼンテーションで「お菓子の家」を提案したのはOさんだった。私には迷いがあり、これから何をしたらいいのか思い浮かばす、すぐにその夢のような案を出したOさんを羨ましく思った。

でも大きく膨らんだ夢は容易には叶わない。計画の段階で、費用がかかり、自分たちの力を総動員しても難しいことが次第にわかってきた。彼女の力に期待をしたのだけれど、一緒に関わっても狭いネットワークだけではどうにもならないと、最終的に断念せざるをえなかった。

あのとき、例えばお菓子やさんであるとか、もっと何か大きな力を借りれば、できたかもしれないという思いが残った。『ヘンゼルとグレーテル』になって喜ぶ子どもたちの姿を思い浮かべ、Oさんの無念さをいつか形にできないかという淡い思いを抱き続けた。

2008年度の計画で「赤ちゃん大学」が公民館との共催で行われた。このとき、子どもとの遊びでSさんがダンボール箱で作った家を持ってきた。私が子どもたちと遊んだものとは大違い。窓にカーテンがあり、ドアも開閉がしやすくきっちりと付いていて、とにかくきれいなのだ。屋根は高くつけられ、子どもが一時ここに住んでいたというほど居心地よくできていた。見事だ。こんなふうに変身するなんて。

そのときふと思ったのは「お菓子の家」だった。これならできるかもしれない。すべてお菓子というわけにはいかないけれど、一面にお菓子を貼り付ければ立派でおいしそうな家になる。ちょうど1か月ほど後にクリスマス会が企画されている。飾りのメインになると思った。

クリスマスの準備をするのは1年で1番楽しい仕事だ。我が家では枝がしなるくらいオーナメントをぶらさげたクリスマスツリーと、ベランダにトナカイや白鳥やりんごなどのイルミネーションを飾る。講座に参加する方が喜んでくれるように、みんなで持ち寄った飾りは「お菓子の家」とともに賑やかに夢を描いていた。

 残念ながらOさんは遠方で参加できないが、メールで送った写真を喜んでくれただろうか。その場にいたらどんなによかったか、きっと私よりもっとすてきに飾ってくれただろう。心の奥にあった思いが叶い、講座を締めくくった。


エッセイ講座プロジェクト緊急打ち合わせ開催

2009-10-30 23:46:03 | エッセイ

 

昨日、エッセイ講座開催のための打ち合わせを行った。

ホテルのロビーを借りた。アイデアが湧くいい場所である。

私にとって、最高の応接室で、時々使わせていただく。(その後、もちろん、おいしいランチをいただく事が、また、楽しみだ)

私も中心になってくださる担当者もプロジェクトが進んでいるこの期間が大好きである。

「ゼロからものを生み出す」この感覚がたまらなく嬉しい。

子供を出産する喜びに似ている。出てきた作品は何年たっても愛おしい。

エッセイや絵や映画や演劇や絵本など、生み出すまでがなんとも至福の時間になる。

また、Essey E  Eiga Engeki Ehon など、なぜか、みんなEで始まる。

みなさんを刺激する「赤ちゃん大学」のときの写真を選んでくれたMHさん、ありがとう。私も、今書きたくってウズウズしてきました。

芸術は爆発だといった岡本太郎氏らが出ているNHKの日曜美術館 を見ていて、出演者の五木寛之さんが多くの80歳代や90歳代の前衛芸術家の活動を尊敬して、これからの願望を込めて

「21世紀は晩熟の芸術時代」と称した。

当たっていると思う。老後を手持無沙汰に右往左往しているのでなく、若い人に刺激を与えたり、育てていくプロジェクトを組んでいる影響力の大きなご年配の方々がいらっしゃる。

いい表現をなさっている方々ばかりと、興奮を覚えた。書きたい。

ところで、近々、E表現で、MHさんらによるエッセイ講座企画のための写真がホームページにUPされるので、皆さん脳の中の文章感性を磨いておいてね。

「映画宝話」も形作られようとしています。またまた、お楽しみに。

TTT