今年も小学校、中学校で地域の話をする機会があり、僕の担当は小学校
少し目先を変えて ⇒ 聴く生徒は、毎年違うので目先もなにも無いのですが
青梅市の街中から東に東青梅 まあこれは妥当
同様に東にあるのに西分 これいかに
ってことで、少しづつデータを集めています。
地域の事を調べている先輩の家に話を聞きにいき、青梅市の古道は、鎌倉街道が認知されていますが、現在の青梅街道側に青梅市総合病院から神代橋あたりまで古道があり、先輩はご夫婦で実際に歩いたと
資料をお借りして、地図を作成してみました 模造紙2枚とちょいの幅
左端が神代橋付近 右端が青梅総合病院
ぐねぐねと黒線が古道です。
たしかになんとなく歴史的に怪しい場所が確かにあります 苦笑
古道は、戦国時代より前にあった道で、青梅街道が出来る前です
現在の青梅市西分の旧西分交番の付近です
下からの黒線の古道が別当沢の田端橋を渡って東西に
赤線と赤い点線が当時の古道(点線は、どれが正解か不明です)
青い線が川で、ものすごい深い河で橋を架けることがかなわず、田端橋を渡ってそうな
田端橋付近を追分としたのじゃないかと推定します。そこで一番西側の追分ってことで西分 推定です
戦国時代に住吉神社が建立され、そのことで川も埋める?なんとかなった?ようで道幅は現在ほどではないですが、緑色の青梅街道が出来たと思います
これにより江戸時代では、江戸城に使った石灰の輸送や、新宿からの第一の宿場としてにぎわった
また、材木を切り出して多摩川で筏にして江戸の木場には流したものです。
この地図の左下あたりの調布橋あたりが、雪女の産地です。
後先考えずに地図を作成したので、地図に適当な電子データが無かったので切り張で作成し、テキスト製本用にA3で6枚のデータに知人の事務所のスキャナーで分割データにして、さらにそのデータを加工修正して と、とりあえず3日かかりました
600bpsのA3データは重い!!!!!
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