でんでんむしのかなしみ
新見南吉
(改行、行間は、管理者)
一ぴきの でんでんむしが ありました。
ある ひ、その でんでんむしは
たいへんな ことに きが つきました。
「わたしは いままで、うっかりして いたけれど
わたしの せなかの からの なかには
かなしみが いっぱい つまって いるではないか。」
この かなしみは、どう したら よいでしょう。
でんでんむしは、おともだちの でんでんむしの ところに やっていきました。
「わたしは もう、いきて いられません。」
と、その でんでんむしは、おともだちに いいました。
「なんですか。」
と、おともだちの でんでんむしは ききました。
「わたしは、なんと いう、ふしあわせな ものでしょう。
わたしの せなかの からの なかには
かなしみが、いっぱい つまって いるのです。」
と、はじめの でんでんむしが、はなしました。
すると、おともだちの でんでんむしは いいました。
「あなたばかりでは ありません。
わたしの せなかにも、かなしみは いっぱいです。」
それじゃ しかたないと おもって
はじめの でんでんむしは、べつの おともだちの ところへ いきました。
すると、その おともだちも いいました。
「あなたばかりじゃ ありません。
わたしの せなかにも、かなしみはいっぱいです。」
そこで、はじめの でんでんむしは
また べつの、おともだちの ところへ いきました。
こうして、おともだちを じゅんじゅんに たずねて いきましたが
どの ともだちも、おなじ ことを いうので ありました。
とうとう、はじめの でんでんむしは、きが つきました。
「かなしみは、だれでも もって いるのだ。
わたしばかりではないのだ。
わたしは、わたしの かなしみを、こらえて いかなきゃ ならない。」
そして、この でんでんむしは、もう、なげくのを やめたので あります。
みんな背中の殻には悲しみを抱えながら
生きていることに気がついたでんでんむし。
道をすれ違った人をみて
普通に生きていられて良いなあなんて思ったことが
少なからずあるのではないでしょうか。
でも、皆それなりの人生を経験しているものなのだと思います。
昨日まで書いていたA先生にも
そんな過去があったなんて微塵も感じませんでした。
その悲しみが、今の原動力になっていることにも気づきました。
悲しみも喜びも、今の自分を創ってくれているものなのだと
A先生の話を聞いて感じたのでした。
今回思い切ってコメントにいれさせていただいたのは、緩和ケア医に関してなのです。
将来緩和ケアに進もうと考えた時、どの科に所属して学んでいけばいいのだろうかと悩んでいます。
現在医学部6年で、国試に合格できれば来年から研修医として働き始めるのですが、
研修が終えて各専門の科に進むにあたって、緩和ケアに進みたいのであれば、麻酔科か精神科か内科か…
3年目から緩和ケアを学べる大学や病院が国立国際医療センターしか見当たらないので、
やはり各科で経験をつんでから緩和ケアに進むべきなのでしょうか?
何かアドバイスをいただければ光栄です。
もっと、医学の教育の質的な面から考えると、緩和ケアは症候学です。このトレーニングを十分行っていないと本当の緩和ケアの実力を身につけることができません。それには、内科です。今までは、オンコロジーか内科(ジェネラル)のトレーニングが推奨されていましたが、実際に多くの若い医師を教えてみて、内科的思考能力(病態診断能力)の必要性を実感しています。私のところも、レジ募集は何らかの認定または専門医を持っているか、修得予定を条件にしています。ですから、卒後3年目からではなく、実際はもっと上級医が研修に来ています。
人を恨んでも妬んでもましてやうらやんでも軽くなるわけではありません。
でも、次から次に降りかかるたくさんの荷物を
選別もできずに一つ一つ抱えなければならないのが
当事者です。
日一日と違う症状が発現しているのに、何ら専門的な対処がいただけない患者たちのため
どうか緩和を志す専門家の方々にほんのわずかの私たちへの興味を抱いていただきたいと
陰ながら願う次第です。
色々なことがあるのに、気づかずに生活してしまいます。
色々なことを考える大晦日・・・。
とても、お辛い気持ちをここに書いて下さりありがとうございます。
ただ、頂いた二つのコメントに、なにかすっきりとしないものを感じた読者の方もいらっしゃるようです。(非公開)それを代弁しつつ、私の感想も書かせて下さい。
HHさんの悲しみは、他のものに背負わされたものではない・・ですよね?
>何ら専門的な対処がない患者のために・・
医療にかかっていらっしゃった場合、まったく何もされていない、対応がゼロということはないと思うのですよ。ただ、質的な問題、対応していても十分ではなかったり、説明が不足していたり、そう感じさせてしまう医療であることを反省しなければいけないと思います。
まだ、治療過程にいらっしゃるHHさんにとって、背後にある悲しみは、“緩和を志す専門家の方々のほんのわずかな私たちへの興味”で軽くならないような印象を受けます。がん治療で大切なことは、まずは治療医との関係性です。その上でのサポートが緩和ケアです。わずかな興味というより、これも質なのではないでしょうか。治療医が治療上の責務を果たしている状態があって、治療が上手く進んでいくための適切な緩和ケアの支援が大切だと私は思います。
がん患者さんを代表して書かれているようにも読み取れると思うのですが、HHさんご自身の経験から書かれているということ読者の方ご理解ください。
FDAの記事へのコメントも、ここに一緒に返信いたします。
>緩和のあり方と激しい副作用での苦痛をもたらす標準的(高容量)抗がん剤投与のありかたとが大きくかい離しているような気がします。
薬剤は、それぞれに特性があります。有効限界がない麻薬(副作用を見ながらゆっくりと増量すれば上限なく増量できる)と、効果下限と毒性域との間の安全域でいかに効果を得るかという抗がん剤とは大きく異なります。異なったものを一つの土俵に上げることにはちょっと無理があります。
薬剤がその特性を生かしながら適正に投与されることが大切であり、そのあり方を追求していくのであれば、どちらも同じ方向を向いていると思いますよ。
(HHさん、最近何かあったのではないか気がかりです)
それでも緩和医療に関心を寄せて下さる医療従事者の方々はきっとHHさんのような方に心を寄せて下さるはず・・
でも反面そういう人がいないところで(もしくは一番権力をもつDrが全くそう言った事に無頓着)辛いがん治療もしくは延命治療を強いられている患者が実際いるのです。それは壮絶な事実です。
私も緩和医療が広がることを心から願う一人です。
なんて大それたことを考えて書いたわけではありません
大変失礼しました
ありていにいえば つらさや苦しさからできるだけ遠ざかりたい
というわがままです
病気になった自分が悪いのですが、それでもできるだけ普通でありたい、と思ってしまいます
患者に寄り添ってくださる先生に甘えて、身勝手なコメントを書いてしまいました
本当に申し訳ありません
母への幼いころの記憶
たぶん幼稚園くらいの時、隣の幼馴染と一緒に2人で床屋に行きました。途中私は貰って行った床屋代を落してしまったようで床屋についた時にお金がありませんでした。でも馴染みの床屋さん、あとでお母さんに貰えばいいからと幼馴染と一緒に床屋をしてくれいつもどおりお駄賃をくれました。そこは駄菓子屋さんの隣で駄菓子1個買えるくらいのお駄賃をくれるのです。それで駄菓子を買って帰るのがいつもの床屋さんのお楽しみでした。でもその日はお金を落としていた私・・幼心にもなんだか後ろめたさはありましたが友達と一緒にいつものお菓子を買い家に帰りました。
留守にしていた母が帰った時訳を話すと烈火の如く怒り叩き、暑い夏の日家の前の梨の木に私を縛り付けお金を払いに出かけました。縛られて手が利かない中で汗と涙と鼻水が口に入りむせながら炎天下の中泣き叫ぶ私を近所のおばあちゃんが縄を解いて自宅に連れ帰り麦茶を飲ませてくれました。
こんな記憶がもっと色々あります。
私の娘(母の孫)もオムツトレーニングで裏の堰に両足首を持って逆さずりされたことが大学生の今でも忘れられない記憶だそうです。
そんな母を援助しなければ生活できなかったので同居して生活のすべてを援助しあげく痴呆になり夫にも子供たちにも悪態をつき、昼間独居が無理になり施設に入っても毎月10万近い補充をしてきました。
まさしく
>道をすれ違った人をみて
普通に生きていられて良いなあなんて
と思う事しかりでした。
でも最近特老に転居し噛みつく事も暴言も収まった母に帰省した娘と尋ね、娘が食べさせるプリンを美味しいと感謝の言葉で食べる母を見てようやくかたつむりの気持ちを持つことができた私です。
3人の子供たちも母のもとへ行く事を拒否せず優しく接してくれることも感謝です。