山のあなたの空遠く幸い住むと人のいう
カールブッセのこの詩を読むと
沢山の方々との出会いを思い起こします。
そして、病態説明をするとき
この詩を強くイメージすることがあります。
最期の1週間に差し掛かると
約7割の患者さんはせん妄を呈します。
せん妄とは、
意識が混濁して
つじつまが合わない言動が
見受けられるようになる状況をさします。
また、この時期になると体がとてもだるく
身の置き所がないような感じになります。
このだるさを
まるで、巨大なぬかるみにはまり込んでいくような
重く、身動きがとれない不快感と表現してくださった患者さんがいらっしゃいました。
このようなとき、この辛さをなんとか凌いでいただくために
鎮静という方法をとる場合があります。
鎮静では、ベンゾジアゼピン系の眠剤や
ハロペリドールなどを
良い眠りになる程度に調整しながら投与します。
薬剤を使い始める時、
鎮静という言葉の
その意味合いを説明することに
苦慮することがあります。
かつての同僚が使っていた”乗り切る”という言葉。
いい表現だなあと感じ、
私風にアレンジして使っています。
「日単位に病状が動き始め、
身の置き所がないような苦痛を感じているようです。
このような苦痛を取り除く特効薬は
残念ながらありません。
でも、何もできないわけではありません。
この辛い時間を、
お薬で少しうつらうつらしながら
乗り越えていくことを考えていきましょう。」
睡眠薬を必要とすると
そのまま死にまっしぐらに突入してしまう・・
そんな印象が鎮静にはあります。
でも、
この”乗り越える”という言葉には
越えた先に
何かかすかな
希望のようなものを感じるのです。
(つづきます)
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看病の実体験(自分がなったわけではないですが・・・。)から、本当にそうですね。
本人が「起こして~」とか「やっぱり横になる」とか色々と言って、その度に、私はそれに付き合っていました。 長い時は何時間かそんな事を繰り返しました。 意識はハッキリしていた様で、私の「痛いの?」と言う質問にも「ううん、違う」とは言っていました。
主治医の先生から「身の置き所がないようになる」とは聞いていたのですが、それがそうだったのでしょうか?
その時には「なんだ、なんだ?」と言う感じでしたが、もし、それがそうだったとしたら、本人は苦しかったのでしょうか? 辛かったのでしょうか?
こんにちは。お立ち寄りくださりありがとうございます。ぴょんさんの言葉、実際をご存知なだけにズシッときます。
マーボーさん
せん妄だったのだろうと思います。辛さを感じられている方は、痛みではないのだけれど、痛いと言われることを体験することがあります。痛いと尋ねられて、違うと答えられたことからお察しすると、普通とは違う感じだったのでしょうが、苦しくはなかったのではないかなあって思います。最期が近づいてきたときのせん妄に効果的な薬はあまりないのですが、特効薬は大切な方の顔や声だといいます。ずーっと傍にいて見守ってくださる方がいたから、大丈夫だったのだと思いますよ。本当の答えは尋ねてみないと分かりませんが・・きっと、大丈夫ですよ。
あの時は何が何だかわからなくて・・・当時は必死で一緒になってバタバタしてしまっていて、後で気づいて、もし、苦しかったのだったら申し訳ないと思ってしまっていました。
先生のコメントで救われた気持ちです。
ありがとうございました。
で・・・すみません・・・もう一つお聞きしたいのですが、せん妄は、癌だけでなく、他の病気や老衰(?)でも起こる物ですか?
昨日偶然同居人の最期に担当してくれた看護師さんに会い、やはり気になっていたこの話を聞いたら、やはり「その時に一緒にいた事が良かったんですよ」と言ってくれました。
「一緒にいられて良かった」と思いました。
改めて幸せな最期だったと思っています。
ありがとうございました。
緩和ケア病棟の看護師をしているものです。
鎮静については何度も説明してきましたが乗り切るという言葉は思いもしませんでした、目から鱗です。
しかし、病状やタイミングによっては鎮静の開始が、お別れという結果になることもあり難しさを感じ、またそのような可能性も私は説明します。しかし、「こんなはずじゃなかった」と言われないための自己保身のように感じることもあり、まだまだ悩みながら精進の日々です。
長文・乱文失礼します。
コメントありがとうございます。
鎮静の開始がお別れになる・・これは、覚醒した状態でのコミュニケーションがとれなくなるという意味ですね。
お別れという言葉、死別を意味してしまうことがあります。
でも、うとうとしながら乗り越える状態とは、いのちの続いている一人の人として、私たちはケアを続けている状態でもあります。そこをご家族に丁寧にメッセージを伝えることも大切ですね。
「はじめまして」ではない気がするのですが、
記憶障害があるのですぐ忘れるため、
失礼がありましたら、お許しください。
同病患者さんのブログ記事を見て、
きっとここだとやってきました。
脳脊髄液減少症患者のゆめと申します。
同病患者さんがブログで書かれているように、
脳脊髄液減少症患者の苦しみは
ここに書かれていることそのものです。
脳脊髄液減少症患者の場合は、意識が混濁しているようには見えないようで、見た目は
ただの居眠りや、ぼんやりに見えるようです。
でも患者本人は意識がもうろうろし、夢と現実を行ったりきたりするような状態になっていることがあります。
普段なら絶対しない行動をしてしまったりもします。
脳脊髄液減少症になると体は非常にだるく、
寝ても起きても身の置き所のない苦しさがあります。
自分の手足でさえ体についているのが重く感じ、切り落としてしまいたい衝動にかられます。
体は何かに圧迫され、空気の重さだけで圧死しおうな苦しみもあります。
布団に横になっていても
それこそ、「巨大なぬかるみに、ズブズブと吸い込まれていくような感覚」と、水面に顔が沈んでいくような呼吸の苦しさがあります。
これだけの苦しみを抱えていても、
がん患者さんのように、緩和ケアに積極的に取組んでくださる医療体制は、脳脊髄液減少症患者には整っていません。
ひたすら耐えぬくしかないのですが、あまりの苦しみに、死んで早く楽になりたいとさえ思います。
脳脊髄液減少症の患者にも、緩和ケアは必要だと感じてきました。
緩和ケアに関わる医師の皆様には、脳脊髄液減少症患者の緩和ケアにもお力を貸していただきたく思います。
ご理解のほどどうぞよろしくお願い申し上げます。
なお、私の症状の一部につきましては、
ブログのカテゴリーの「症状の説明」の中に書いてあります。
脳脊髄液減少症は、おそらくがんの苦しみに匹敵する苦しみだと想像します。
お読みいただけましたら幸いです。
脳脊髄液減少症患者でございます。
先生のブログは、いつも興味深く拝読させて頂いております。
「生きるため」「旅立つため」のエッセンスが、随所に散りばめられ、感銘を受けることもたびたびございます。
「山のあなたの。。。」という記事は、再掲でいらしゃると思いますが、
私の体験とあまりに酷似しておりましたので、
一部を、自ブログに引用させて頂きました。
事後報告で申し訳ありません。
脳脊髄液減少症に関しまして、上記のゆめさんが、書いて下さったので、割愛させて頂きます。
がん患者さんの「最期の一週間」のような辛い辛い症状が、ありながらも、それでも延々と耐えて生き続けなければならない
「脳脊髄液減少症」という病気にご理解を頂ければ幸いでございます。