緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

過去に喪失した空白な自分、これもあって今がある

2017年06月11日 | つれづれ

(写真; ボリショイバレエ 2017年講演 HPより http://www.japanarts.co.jp/bolshoi_b2017/giselle.html)


6月5日、何年ぶりになるだろう・・ 
ボリショイバレエの
ジゼルを観に、上野文化会館へ。




大学時代に、膝の靱帯断裂を
レッスン中に起こし、
そこからバレエは
まったくできなくなってしまいました。

大学に行きつつも
バレエを職業とする夢を消すことができず、
葛藤していた矢先の出来事だったため、
私の中に、自分の決断ではない喪失を抱え、
ぽっかりと空白の部分ができ、
それを見ないように生きてきました。

TVでバレエをやっていても
観ることができるようになるまでに、
随分時間がかかり、
聞きなれたフレーズの音楽からは
逃げていました。
まして、ホールに足を運ぶのは、
相当のエネルギーが要りました。

あれから35年ほどが経ち、
今回、大会長を引き受けてから、
この空白の部分を見つめる機会を
与えてもらったように思います。

ふとしたことで、
チケットをとってみようと思いました。





ホールに到着し、
ボリショイフィルの音楽が流れ、
過去に何度も見た振付・・



自分がどんな風に反応するだろう・・
と思っていたけれど、
35年は十分な時間だったようでした。

空白な部分を抱えて生きてきたように思っていましたが、
自分では気づかないうちに、
代償して埋めたり、支えたりしている部分が
心の中には作られていました。



生きていれば、何とかなるものだ・・・



ヒトの大半は、意識しない時間や体験で形成されると言います。
大丈夫なのだろうか・・という感情を意識していても
結構、無意識の補完はできているのかもしれません。



ということは、無理なく踏み出してみたことは、

きっと、大丈夫なんだ・・



人生で失ったものは、
取り戻すことはできず、
失い続けるに決まっている・・

失意のうちに居た自分でしたが、
膝の靱帯は元に戻らなくても、
「できない」という喪失を
何かが補ってくれ、元に戻らない自分と
折り合いをつけながら生きるすべを
与えられていたのだと気付きました。




補完してくれたものは何なのか・・
無意識な部分であるため、
表現するのが難しいのですが、

切れた靱帯であっても、生活ができていること、
自分を感じる時間を持ててきたこと、

そして、今回、大会長を引き受けて、
大会長講演をどうしようか考えてた時、

市民参加セッションのプレセッションとして、
「私が緩和ケア医である理由」
というタイトルで話をしようと考えたこと。

これを考えていて、私は
多分、靱帯を切らなかったら、
今の自分はいなかっただろうと思いました。
当たり前なのに、
すべての過去があって、今の自分があることに
改めて意識できたことが
大きかったのではないかと思います。



過去の出来事に無駄なことはない
という言い方をすることがありますが、
これは違うかな・・

そうではなく、過去の出来事の結果、
無意識の選択
―例えば、靱帯を切ったから、
 できることが限定され、
 結局、その方向に向かわざる負えない
 現実があるようにー
一つ、一つの経験が結果的に進む流れを作り、
その流れの結果、到達した場所こそが、
すべての経験を踏まえた今である・・・・

今と過去を繋いだ時に、
今、生きていることが
偶然ではなく、
過去に意味を見出すことが
できるのだと思います。



人生の一大事だったことに
こんな転帰があり、
こんな風に気づくことができたことに、
今、ゆっくりと幸せをかみしめています。


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4 コメント

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感動(^.^) (トコトコ)
2017-06-11 23:58:29
先生の今日のお言葉のひとつひとつが、すーーと自分の心に入ってきて涙が出てきました。人生ってそういうものなのですね。

緩和医療学会、楽しみです。先生の大会長講演もさらに楽しみです。
こころを満タンにさせてもらえそうです!!
返信する
トコトコさん (aruga)
2017-06-12 00:13:01
共感してくださる方がいると、救われた気持ちになります。
本当に、ありがとうございます。

学術大会、こうして応援メッセージを頂けて、きっと素敵な大会になると信じています。
たぶんすごく忙しそうにしていると思うのですが、声をかけて頂けることがその力になるので、是非是非、見かけたらお声をかけてくださると嬉しいです。
返信する
30年振りに・・ (くまごろう)
2017-06-14 19:42:09
ある日、日本で有名な新聞社の記者からメールをいただき、取材を受けました。
初めての経験でした。
所属が掲載されるので、あちこちの関係各所に原稿を校閲していただいたところ、私の取材であったにも関わらず職場の宣伝に書き換えられてしまい、返却された原稿を見て、記者の方は呆れてしまったそうです。職場の取材ではなくて、私の取材だったのに・・。
その連絡を受けて、私が記者の方に、ある提案をしました。この企画をお聞きした時、私が高校生の時に感じたある出来事を思い出したけれども、初めての取材だったので意味のないことをお話しましたが、私はある先生の、高校の時のあの授業が忘れられず、初めて行った研究が、そこから始まり、今でもこの思いは持ち続けていることをメールに書いた時、こんないい話を記事にしない訳には行かないと思われたらしく、この授業を行った恩師を取材されたそうです。お年は76歳と書かれていました。
30年も前のことですが、先生が行った授業が私の一生を支えていることを記者の方よりお聞きし、とても懐かしがられたと共に、この記事が掲載される日を本当に楽しみにされていたそうです。
先月中旬に、この記事は掲載されました。
これを機に、「一度お目にかかれませんでしょうか」とお手紙が来ました。今でも名前はかわっていないのですが、顔も覚えてはいないけれど、一度お会いしたいと。
30年振りにお会いします。
紙面の都合上、読んだだけではわからないと思うのですが、その詳細を記者の方よりお聞きし、会って話をしてみたいと思われたそうです。
30年、母校には一度も行ったことはありませんが、お会いする日は、高校の文化祭の日です。
10年、20年、その思いは、私の心のどこかで持ち続けていたことですが、30年を過ぎて、記事への掲載とこんなことになるとは思ってもおらず、きっと、先生と同じ、今を支えている話になるのだろうと思います。
30年という数字がすごいと思うのですが、過去の全てが、思い出としてさらに人を支えるのかも知れません。
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くまごろうさん (aruga)
2017-06-27 00:56:29
くまごろうさんの30年前の大切な人と最近の記事の事、ここにシェアしてくださり、ありがとうございました。
本当に過去の全てに今を作り上げてもらっているような感覚、同じような体験をされていることに、温かな気持ちになりました。
返信する

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