ある雑誌に、ある医師が
「人間は希望がなければ生きていけない。
希望とは
『現在の努力が将来において報われるであろうと
現在において確信できる精神状態』と定義できる。」
と話したことが掲載されていました。
この話、
「患者さんは治す希望を持って、
治療を上手く進めていくためにどう努力すればよいかという問いを医師にするが、
医師は科学的根拠に基づくエビデンス的な考え方が主になっており、
患者さん個々の努力に対する疑問に答える技量を持っていないことが多い。」
と、続きます。
これに対し、某化学療法関連の学会の方が
「腫瘍内科医は確かにEBM人間だが、
エビデンスに頼らず何に頼れるか考えていただきたい」
と答えたことは、さて置いて・・・
(いやいや、話の論点が違います・・ということで
いかにも・・というこの回答はスルーしてください。
がん治療関係者なら、この方がどなたかは想像に難くないと思います。)
患者さんは、治す希望を持ってというくだりからすれば
確かに、先に掲げた希望の定義は悪くないのかもしれませんが、
希望とは・・・
現在の努力が将来において報われるであろうと現在において確信できるもの
といわれると・・
そうかなあ。違うなあ・・って思います。
以前、書いたことがありましたが、
山のあなた・・
なんです。
私にとっての希望って。
将来報われるかどうか確信できることなんて
私にとっては、殆どありません。
でも、やまのむこうに、見えないけれど幸せがあるような
見えなくても、かなわなくても、実際に行ってみたら何もないかもしれないけれど
そんなものも、私にとっては希望なんです。
あなたにとって、希望って何ですか?
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夫婦で旅行に行ったこと、小さい時に遊んだ思い出などを携帯やパソコンメールで友人知人のあらゆる人たちにお送りし、そのときの思い出や楽しかったことを語らいながら、今はどうしているのかとか、人生を生き抜くとは、どういう事なのかと、語らうことに全勢力を注ぎました。
そして、日記をつけること。
主人の妹・2人にはその意図が、主人の闘病中も、今も、全く通じず、困り果てておりますが・・・。
目標、いまだ定まらず・・・・。
だらしない日々を過ごしており、反省中です。
その後は(難しいことですが)人に心から”ありがとう”と言ってもらえることをしたいです。それが些細なことでもいい。自然な生活を送ることが今の目標です。
人はとても安易に「希望」という言葉を使いますが。
まず「治す」「治る」希望、と「希望」は違うものですよね。
そこを一緒にするとややこしいことになるかと思います。
結論をはしょっていいますと、希望は人の数だけあります。
この場で書くのはとても勇気が要りますが、私の希望は、最後には完全な安穏としての「死」がすべてを包んでくれるであろう、というものです。
キャサリンさんにとっての希望を言葉を変えて表現するとしたなら。心のよりどころなんですね。絶望から今日より明日、明日より明後日と少しずつ上にのぼっていらっしゃるようすが感じられました。
uechanさん
一つのことを共に支えてくれた人の存在やつながりが大きな支えだったのですね。
ぴょんさん
ご主人との時間は、人とのつながりでもあったのですね。生きてきた道のりを確認しながら、それを太くしていったのですね。
かぼちゃさん
かつての地を訪れること、人の役にたつ事、自分への手ごたえを感じるプロセスのように思えました。素敵なことです。
風子さん
ご指摘の通りです。
希望は、それを話す人それぞれの価値観の中で表現されるものなのだと思います。死を意識されたことがある方の究極の希望のような印象を受けました。