緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

がんサバイバー 1985年NEJMのミュラン先生の論文

2016年12月25日 | 医療

先日、ある論文を紹介してもらいました。
直ぐに、図書館でその論文の
全文を確認しました。

頭を殴られたような感覚になりました。

Seasons of Survival: Reflections of a Physician with Cancer

Fitzhugh Mullan, M.D.
N Engl J Med 1985; 313:270-273July 25, 1985

This article has no abstract; the first 100 words appear below.

When I was given a diagnosis of cancer, my first thought was not, Will I die? but rather, How can I beat this? Like a youngster who flunks a big test, I immediately began to worry about what to do to pass the course. I was 32 years old at the time, a physician, a husband, a parent, and a son. I had been healthy, athletic, and free of pain, but with the diagnosis, I became formally sick. My mind and my hopes riveted immediately on the goal of cure. Cure. The word itself became magic for me, a . . .

ミュラン先生は、がんサバイバーのオーソリティです。
論文の出だしは、ご自身が縦隔腫瘍の診断を受けた時のことから始まります。

その論文の中の一節

1985年当時のアメリカは
がん治療に全力を注ぎ、
その後の事も、その経過中も、
急性期の治療を除けば
支援はない状況を
次のように表現されていました。

It is as if we have invented sophisticated techniques to save people from drowning, but once they have been pulled from the water, we leave them on the dock to cough and splutter on their own in the belief that we have done all that we can.

私達はおぼれている人々を救う洗練された技術を得たものの、一旦、水から引き揚げてしまえば、やれることはやったのだから後は自分で咳をして水を吐き出しなさいと船着き場のデッキに放置しているようなものだ。





自分たちの姿勢を問い正されたようで、
この論文を読んだ後の強い衝撃は、
その日、一日続きました。

今の日本は法律の中にも
がん就労支援をはじめ、
ただおぼれた人の救い方だけではない医療が
盛り込まれようとしています。

1985年のアメリカに遅れること30年。
社会の意識もそのころに近いものが
残っている日本です。


Fitzhugh Mullan先生

来年の6月、
第22回日本緩和医療学会学術大会に
来日してくださいます。

先生のお話が聞けることを、
心から楽しみにしています。

患者アドボケイトラウンジの方も参加できます。

ミュラン先生をご推薦くださり、
この論文をご紹介くださった
愛知県立がんセンターの小森先生に
感謝で一杯です。


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