長髭会 長ひげ会
2020.1
文化十年五月のことである。
江戸の芝愛宕山にて、長髭会と言うのが開催された。
主催者は、大関大中と言う者で、秋田信濃守の侍医である。
この者は、連歌が好きで、連歌社中では、名が知られている。
子息は大関進といい、儒者である。
所々に髭のある老人を集め、それと同時に書画を見せる興業を行った。
しかし、人の気持ちは皆同じ様で、爺むさいものは、見たくない、と思ったのであろう。
一人も、見に来なかった。
興業は大失敗であった。
この日、しるしの棒に揮毫したのは、狸源十郎斗という者であった。
爺さんたちの髭を一本ずつとって、愛宕山に埋めて、その上にしるしの棒を立てた、とのことである。
西久保の光明寺の雲賓上人の話である。
以上、「半日閑話」太田南畝 166 より。
編者注:これは、ただの街の話である。江戸時代は、様々な興業、見せ物が行われたが、失敗例である。
こんなバカな事をして、と言った感じの話題である。
2020.1
文化十年五月のことである。
江戸の芝愛宕山にて、長髭会と言うのが開催された。
主催者は、大関大中と言う者で、秋田信濃守の侍医である。
この者は、連歌が好きで、連歌社中では、名が知られている。
子息は大関進といい、儒者である。
所々に髭のある老人を集め、それと同時に書画を見せる興業を行った。
しかし、人の気持ちは皆同じ様で、爺むさいものは、見たくない、と思ったのであろう。
一人も、見に来なかった。
興業は大失敗であった。
この日、しるしの棒に揮毫したのは、狸源十郎斗という者であった。
爺さんたちの髭を一本ずつとって、愛宕山に埋めて、その上にしるしの棒を立てた、とのことである。
西久保の光明寺の雲賓上人の話である。
以上、「半日閑話」太田南畝 166 より。
編者注:これは、ただの街の話である。江戸時代は、様々な興業、見せ物が行われたが、失敗例である。
こんなバカな事をして、と言った感じの話題である。
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