江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

花魁(おいらん)の説得で、真人間になる  雲錦随筆

2023-07-10 23:00:00 | 江戸の人物像、世相

花魁(おいらん)の説得で、真人間になる
 2023.7

さて、江戸時代の「雲錦随筆」(暁鐘成:あかつきかねなり:1793~1882)には、おいらんの教えで、放埒な生活をやめ、帰郷して、堅実な人生をおくれるようになった男の話があります。
「事実は、小説よりも奇なり」と言いますが、このような話が、記載されています。
表題は、特にないので、仮にこの表題としま した。

以下、本文。

ある江州(滋賀県)瀬田の住人の話である。

その人は、若気の至りで身を放埓(ほうらつ)に持ち崩し、両親を残して家を出、関東に下り、江戸に落着した。

あちこちに奉公して、終いには吉原の廓に入り込み、ある娼家の下男と成って勤めた。

この家の抱えの花魁(おいらん)に、心が正しくまっすぐな何某(なにがし)とかいう女性がいた。
彼女は、その下男に対して、故郷などをたづねつつ、かつ
「両親は、存命であるか?」と質問した。
すると、
「いかにも両親ともに存命ですが、故郷に捨ておいて、当地へ来て、これこれこのようになりました。」と語った。

すると、花魁(おいらん)は、
「私たちは、それに引きかえて、親の為に身を売られ、つらい勤めをしていますが、年期のあけるのを、待ち暮らしています。故郷へ帰ったのならば、父母に仕えて親孝行を尽くすのが念願です。
それなのに、あなたは両親を遠い国に捨てておき、
このように遠い江戸に、しかも取りわけて賤しい廓に奉公して、親は、さぞかし心配し続けて、忘れる隙(すき)は無いでしょう。
何卒(なにとぞ)、心を改めて、すぐに帰って親達の心を安め、家業に専念して、親孝行をつくされたならば、あなた自身の為にもなり、・・・」
と色々と説得した。

すると、その下男も気がつき、
「まことに、ありがたい御異見(ご意見)のほど、骨見にしみました。
嗚呼(ああ)、私は間違っていました。今迄は放逸に身を持ちくずし、親の心を苦めた事は、大いに後悔いたします。」
と、花魁(おいらん)の諌(いさ)めを喜んだ。

この時より直(ただち)に、雇い主に暇(いとま)を乞うた。帰郷のお金を用意し、急いで江州(ごうしゅう:滋賀県)に帰り、両親の気を易(やす)めた。親孝行をし、家業に励み、年を重ねて家も栄え、妻子をもうけて、何不自由なく暮した。その内に、両親を見送り、家産を相続した。これは、全く吉原にて、花魁(おいらん)の教訓におがげである故なので、どうにかして、この此恩に報いたいとかんがえた。
先年、吉原にいた時に、かの花魁(おいらん)が一首の歌を詠出したのを扇に書いて貰ったのを所持していたのをおもいだした。
これ幸いと、額につくり、石山寺の観世音に奉納して、花魁(おいらん)の健康と、長生きを祈れば、せめての恩返しになるであろうと、考えた。
やがて程なく額にこしらえ、観音様の宝前に納めた。

さて、
かの吉原の花魁は、年来の誠実の行ないに、天は答えてくれたのであろう、富豪の客に身請けされた。

そして、このたびは、侍女、婢(はしため)、下僕を召しつれ、畿内見物に上ってきた。
石山寺に参詣した時に、思ひもよらず、自分が昔詠んで書いた物を、見つけた。それは、扇の地紙にして張りつけ、絵馬に作って奉納したものであった。
これは不思議、誰が、こうしたのだろうか、と驚いた。その絵馬をよくよく眺(なが)めると、願主(がんしゅ)江州勢田何某(ごうしゅう せた:滋賀県大津市勢多)とあった。

これより瀬田に着いたのなら尋ねてみようと、その住所をくわしく書きとめた。
やがて勢田に到って、かくかくしかじかと尋ねた。
すぐにわかって、その家に案内された。

主人に対面すると、あにはからんや、昔、傾城(けいせい:遊女・花魁)であった時、吉原の花街に於いて、下僕であった者であった。
互いに無事を悦(よろこ)んだ。
男は、「見苦しい住まいですが、今夜は一宿してください。御礼も申し上げたくおもいます。」
と様々に饗応した。

男の女房もともに出てきて、
「そこ元さまの御事(おんこと)を、いつも話していて、感謝しておりました。
しかし、遠い江戸の事ですので、尋ねてお礼を言うことも出来ずに、月日が過ぎて来ました。
思いもかけず、御目にかかる事は、嬉しくありがたいことでございます。
これも、偏(ひとえ)に石山寺の観音さまのお導きでございましょう。」
夫婦はもろともに歓こんで、恩義を謝したそうである。

まことに、いましめの言葉を聞いて、正しい生活に戻った者も、
異見(意見)を加えた傾城(けいせい:遊女)も、
正しい五常の道にあった故に、天道は善に祝福し、
双方とも富貴(ふうき)の身となったことは、有がたい事である。


「雲錦随筆」日本随筆大成一期の2 より



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