江戸の三大怪盗 その2
稲葉小僧 兎園小説余録
天明のはじめの頃、あだ名を稲葉小僧と言う盗賊がいた。
親が稲葉殿(山城の国の淀藩主)の家臣であったが、幼少より盗み癖があったので、ついに親に勘当されて、夜盗になった。
そういうことから、悪党仲間では、稲葉小僧と呼ぶと言う巷説(こうせつ:ちまたの話)がある。
本当かどうかは、わからない。
この稲葉小僧は、谷中のそばで、町方定廻り同心に搦め捕られて、もよりの自身番へ預けらた。
町役人等は、小僧を縄をかけたままつれて、町本行所へ行こうとした。
が、不忍の池のほとりで、大便がしたいと訴えた。
それで、そばの茶店の雪隠(せっちん)に入れた。
しかし、水際にあったので、ひそかに縄を解きはずして、走って池の中に飛びこんだ。
泳ぎがうまかったのか、逃げ切ってしまった。
その時は薄暮の事であったので、役人たちは、ただ騒いだだけで、捕まえられなかった。
そのウワサが、人々の口に広まった。
この頃、葺屋町(ふきやちょう)の歌舞伎座で、この事が狂言にとり組まれて、大いに当たった。
舞台は、お染久松の世話狂言(芝居)であった。市川門之助はお染の兄の悪党何がしとお染と、一人で二役を演じた。その早がわりが、大当りした。
(原注:久松の役は、市川高麗蔵が演じた。これは今の松本幸四郎((訳者注:多分、四代目))である。久
松の親の野崎の久作を演じたのは、大谷広次((訳者注:歌舞伎役者:年代からすると三代目であろうか))であって、浄瑠璃も演じている。)
お染の兄が縛られて引かれて行く折、縄を解いて池の中へ飛び入ってから、やがてお染になって、花道の切幕より飛び入った早変わりを演じた。
悪党と美女子の二役を、あざやかに演じた新車(原注:門之助の俳句での筆名)を、観客たちは、皆うれしがったのである。
この狂言を、私(筆者)は五回も観た。
今の世ならば、このような狂言(芝居)は、必ず禁ぜられたであろうが、この頃までは、特に幕府からの弾圧も受けなかった。
さて、その稲葉小僧は、逃げて上毛(群馬県)の方に行ったが、痢病を患って病死したそうである。
これは、それから少しして同類の盗人が搦め捕られた折に、自白したが、稲葉小僧が病死した事も白状した。
その当時、そのことがウワサとなって流れてきた。
そもそも、件の稲葉小僧は、前に記した鼠小僧と相似た夜盗であって、しばしば大名がたの屋敷へしのび入って、金銀衣類器物を盗みとったとのことである。
この様な泥棒が、逮捕されずに病死したことは、残念なことである。
その時期に悪名が最も高かったのは、この両小僧であった。
但し、稲葉小僧は、逃げたことにより、その名が世に聞えた。
鼠小僧は搦め捕られてから、その名が、急に有名になった。
特に有意義なことではないが、記録して、もって戒めとするだけである。
(編者注:戒め=教訓としたのは、幕府の弾圧・言論統制をのがれるため。
本当は、単純に面白いから記録した、ということでしょう。)
「兎園小説余録」 滝沢馬琴先生
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