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がん哲学外来カフェの心得と勝海舟

2014-10-13 20:08:23 | 日記
がん哲学外来カフェの心得というものがあります。これが実に勝海舟の行動パターンに通じているものがあります。ちょっと考えてみました。

がん哲学外来カフェの心得
~立居振舞い3ヶ条~
*がん哲学外来カフェの方針の3ヶ条*
・他人の必要に共感すること(自分を押し付けない)→蘭学塾を開いた勝海舟は自分の考えを押し付けず塾頭・杉亨二を信頼して無条件に受け入れる。
・暇げな風貌(忙しすぎてはならない)→1868年の正月、鳥羽伏見の戦が始まり慌しい維新をむかえようとも、無役の勝海舟は氷川の自宅にこもりながら悠々と古書を読み、日本の将来を考える。
・速効性と英断(いいと思ったらすぐ実行)→徳川幕府神戸海軍操練所と海軍塾を即決開設して脱藩浪士坂本龍馬を採用する勝海舟
*カフェスタッフの要件の3ヶ条*
・品性(人生の目的は品性の完成である)→勝海舟の晩年、賊軍の将であった徳川慶喜を明治天皇との和解に奔走し、自分の最後の仕事として徳川慶喜の明治天皇謁見を成し遂げる。明治に入り幕臣としての主従関係は無くなっても人間として徳川慶喜を復権させ人生を終わる。
・使命感(偉大なるお節介)→徳川慶喜が鳥羽伏見の戦に敗れ江戸に帰って呼び出されると、幕臣や自分の地位名誉のためでなく、日本の将来のため江戸庶民の暮らしのため、難しい状況でも役割を引き受ける。
・犠牲を払う(自らは犠牲となっても、心は豊になる)→無役の貧乏旗本の御家人からやっと蘭書翻訳勤務を命じられ無役を脱すると長崎行かされ、長崎海軍伝習所でも他の伝習生が1年のところ居残りを命じられるが、このことが後に咸臨丸を動かし薩摩に行くと藩主島津斉彬に出会い勝海舟の存在が西郷隆盛にも知れ渡り人脈が広がる。
*がん哲学外来カフェの役割の3ヶ条*
・個人面談→徳川慶喜であろうと西郷隆盛であろうと町火消しの新門辰五郎であろうとどんな人物にも地位名誉に関係なくじっくり目を向けて対談する勝海舟
・場作り(来訪者にお茶を出す)→明治に入ってから天璋院篤姫と皇女和宮をお芝居に誘う勝海舟のオモテナシ。
・研鑽(30分間の沈黙にも、お互いが苦痛にならない存在となる)→江戸城無血開城の談判でお互いに相対立する立場にありながらも信頼関係が保てる西郷隆盛と勝海舟。
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