「敵に味方あり味方に敵あり」といつて、互いに腹を知りあつた日には、敵味方の区別はないので、いはゆる肝胆相照らすとはつまりこのことだ」(勝海舟「氷川清話」より)
勝海舟は幕末に幕臣であっても薩長との人的交流があり、明治になって新政府や旧幕臣との人的交流を欠かさず、常に敵味方、損得勘定ぬきで常に人間的に交流していました。損得勘定で人の付き合いを判断している風潮が見うけられますが、勝海舟のように人間的な付き合いが最も必要なときだと想います。
勝海舟は幕末に幕臣であっても薩長との人的交流があり、明治になって新政府や旧幕臣との人的交流を欠かさず、常に敵味方、損得勘定ぬきで常に人間的に交流していました。損得勘定で人の付き合いを判断している風潮が見うけられますが、勝海舟のように人間的な付き合いが最も必要なときだと想います。