「江川太郎左衛門も、またかなりの人物であつた。その嘉永安政の頃に、海防のために尽力したことは誰も知つて居るだらう。この男は、山の中で成長して、常に遊猟などをして筋骨を練り、明け暮れ武芸に余念なかつた。が、しかし、人の知らないうちに嗜んで居たと見えて、ある時水戸の屋敷に召されて、烈公から琴を一曲と所望せられたのを、再三辞したけれども、お許しがないから止むを得ず一曲奏でたが、その音悠揚として迫らず、平生武骨なのにも似ないで、いかにも巧妙であつたから、列座のものが手を拍つて感嘆したといふことだ」(勝海舟「氷川清話」より)
江川太郎左衛門は幕末の伊豆韮山代官である江川英龍のことです。海防のためのお台場建設や韮山反射炉、農兵の組織や、携帯食のパンまで興安する、その当時としては秀でた存在でした。こういう人物も幕末期に幕府の人物としておりました。
江川太郎左衛門は幕末の伊豆韮山代官である江川英龍のことです。海防のためのお台場建設や韮山反射炉、農兵の組織や、携帯食のパンまで興安する、その当時としては秀でた存在でした。こういう人物も幕末期に幕府の人物としておりました。