最後の大奥を統べる天璋院篤姫は艱難の連続でした。天璋院篤姫はその場から逃げることなく自身の身をそこに置いて事に当たりました。江戸城明け渡しにおいても大奥を閉じ里である薩摩に帰ることなく徳川家存続に奔走し徳川宗家の跡継ぎをしっかりと育て上げ成長を見守ってこの世を去りました。「天璋院従三位敬順貞静大姉」の位牌は今でも別格だそうです。その生きざまは子々孫々受け継がれているのでしょう。
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